HIRO'S WALKING DIARY

今日はどこまで行ったやら 

旧山陽道を歩く (18) Walking along old Saigoku Highway

福山のホテルで連泊。昨夜のチェックインの時、爪楊枝をホテルの人にもらい、足指にできた水膨れを潰した。そして幸い雨がふらなかったので、靴を乾かさす手間が省けた。入浴後「軍師黒田官兵衛」を見たが、豊臣秀吉が耄碌し、無理難題を通している。配下にいる者は大変だ。さて、今朝も昨日同様6時にカウンターで待ち合わせる。3人とも元気で外に飛び出した。雨の心配はなかった。


さんの絵文字さんの絵文字 神辺駅 Kannabe Stn.
福山駅から福塩線で神辺駅に到着。6時半だった。太陽は出ていないが、空がやっと白んで来た。早速歩き始める。
IMG_4318

さんの絵文字さんの絵文字 中津原へ  To Nakatsuhara
南進し、313号線に合わせるように山裾の道を進むとやがて南西に方向が変わる。大きな天理教の教会をすぎて182号線を越えるとき、街道を探すのがややこしかった。しかし、北さんのリードで難なく街道を進むことができた。今朝福山から乗ってきた福塩線と並行して歩いたあと、高屋川の流れる鶴ケ橋渡って右折し、福塩線と離れる。川にはススキが白く波打っていて、鴨が水面を泳いでいた。新茶屋の交差点で左折し中津原の集落を行く。道端のブロック作りの祠には2段になって石仏が収められている。その横に〆縄の掛かった自然石があり、「地神」と彫られている。地神はこれまで目にしたことのないものだ。調べてみると、田んぼ・屋敷等の神だという。百姓一揆が頻発した18世紀後半、農民の間で信仰が広まったらしい。このあたりの独特の信仰かと思われる。
IMG_4334

さんの絵文字さんの絵文字 芦田川  The River Ashida
山陽道は御幸町中津原を通り、やがて芦田川に突き当たる。川に架かる大渡橋を渡る。僕の調べた山陽道は芦田川の堤防沿いを走る378号線だが、北さんの説に従って西の山裾の集落を縫って行くコースを取った。田んぼの中の道路は車も通らず快適である。郷分幼稚園前を過ぎ、山陽自動車道の高架下を通る。大きな採石場跡地あたりからだんだんと道が芦田川に近づいていく。郷分には山陽道の名残として一本松、二本松、三本松の地名があり、二本松には幼い松ノ木が植えられている。松の木の横にはここで行き倒れになった旅人を祀る小さな地蔵堂があり、地域の人が熱心に祈りを捧げていた。堤防の道路は自動車がビュンビュン走るが、堤防の下には歩道があり、我々はこれを進む。朝日に照らされた我々3人のが田んぼに落ち、一緒に歩いている。
IMG_4346
IMG_4363

さんの絵文字さんの絵文字 山手町 Yamate Town
三本松バス停辺りで芦田川から離れ、山手町を進む。車の行き交う細い道は危険だが、仕方がない。水田にクワイが栽培されている。恥ずかしい話、僕はクワイは食べたことはあるが、どんな植物か知らなかった。北さんに教えてもらってこのオモダカのような植物がクワイだと初めて知った。近所の人の話では、これから暮れにかけて収穫されるが、冷たい水の中での作業は大変だとのこと。その先の交差点に大きな榎木が一本見える。木の下に山手町江良一里塚跡を記す石柱がある。その先の湯傅稲荷神社に立ち寄り、少々休憩。この境内にも地神がある。再び細道を進むと「旧一本松」と記した石柱の横に石仏が並んでいる。松の木はない。
IMG_4387

さんの絵文字さんの絵文字 長い直線道  A Long Street
三本松で芦田川を離れてからというもの、山陽道は長い長い一直線の道で、両側にはまばらながらも民家が途切れることがない。山道とは異なり、生理現象に即対応というわけにはいかない辛い道である。津之郷という集落に入ると谷尻のバス停横に石造物群がある。右から地神、地蔵像が並び、3番目の石碑の文字は読めなかった。山陽新幹線の高架をくぐる。今度は坂部のバス停横に同じような石造物群がある。右から昭湖墓、地主大神、地蔵像である。結局三本松から4kmほどを歩きつづけに歩いた。水越の集落に入る。大きな構えの民家の前で腰を下ろして休んでいると、2階から年配の男性が顔を出し、「家の前でたむろして、なんじゃ。あっちへ行け」と怒鳴る。街道歩きで、「あっちへ行け」なんて言われたのは初めてだ。腰を上げてその場を離れたが、しばらくの間、気分が悪かった。
IMG_4409

さんの絵文字さんの絵文字 赤坂町~神村町~今津町  Akasaka, Kamimura and Imazu Towns
水越で道路は右に急カーブし、赤坂町になる。備後赤坂駅が近い。ファミマの河手橋店があり、トイレを借りてやっと生理現象に応えた。コンビニは本当にありがたい。神村町にはいる。大きな石灯籠には金比羅神宮と刻んでいる。その先、山裾の山陽道は松永道路高架をくぐるが、道は曲がりくねっている。2号線に合流したところに「今伊勢宮」という神社があった。神社の参道を国道2号線とJR山陽本線が横切っている。福山西警察署入口交差点でまた細道にはいった。今津町の大明神社という小さな神社の境内で昼食を取った。今津は神辺・尾道間の宿場町として賑わったところで、本陣跡があった。今も子孫が住んでおり、表門・塀・石垣が残っている。このあとちょっと山陽道を離れ、高諸神社に行ってみた。新羅の王子が戦乱を逃れて日本に逃げてきたが台風に遭い、今津の浜に漂着、宝剣を納めたという伝説がある。
IMG_4461

さんの絵文字さんの絵文字 今津宿脇本陣  Imazu Old Lodging
蓮華寺にも立ち寄った。新羅王子を助けた田盛庄司安邦の菩提寺であるが、今津宿の脇本陣であった。その先に「陰陽石神社」があり、どんなものかと訪れてみた。結構境内を探したが、陰陽石はなかった。
IMG_4480

さんの絵文字さんの絵文字 尾道市へ入る  Imazu Main Lodging House
高西町に入り藤井川に架かるさなだはしを渡ると、じきに尾道市の看板が見えた。ここで高須八幡社に立ち寄る。特段珍しいものはない。珍しいものといえば、その先の道端に「恋の水」の碑が見える。伊勢音頭の歌詞、「坊地下れば鶴亀山よきよき泉の恋の水」が記されているが何のことかわからない。井戸のようなものがあるが、泉の水を飲めば誰かに惚れてしまうのだろうか。
IMG_4496
IMG_4512

さんの絵文字さんの絵文字  東尾道駅 Higashi\onomichi Stn.
「恋の水」が今回の山陽道の最終地点である。我々は高須郵便局の見える角で山陽道を離れ、東尾道駅へ向かった。この続編は12月に持つことにした。
IMG_4521

さんの絵文字さんの絵文字 福山城  Fukuyama Castle
福山から新幹線に乗車したが、駅から福山城が望めた。なかなか良い景色だ。今度来る時を楽しみにしよう。
IMG_4522

旧山陽道を歩く (17) Walking along old Saigoku Highway

朝6時に3人はホテルのロビーで待ち合わせ、福山駅からJR福塩線で神辺駅へ、神辺からは井原線で小田駅に向かう。駅を出るとすぐ旧山陽道に取り付く。今日の予定はここから神辺駅まで、21kmである。井原線に沿って歩くことになる。昨夜はホテルの部屋で2足の靴をひたすらドライヤーで乾燥させた。靴下は昨夜神辺駅近くの店で、4足も予備を買ってある。予備の靴をリュックに入れて歩いたが、幸いなことに雨は降らなかった。左右の足指に水膨れができている。

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  小田駅 Oda Station
小田駅には7時過ぎに着いた。駅前に正徹生誕の地と掘った大きな石碑が座っている。正徹は聞いたことがない。我がスマホで調べると、「矢掛の生んだ室町時代の大歌人、藤原定家の再来」と出ている。石碑の横に「宿ぞなき住みけむ人の思ひおく露や浅茅に故郷の野辺」の和歌が刻まれている。
IMG_3784


choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  堀越宿 Old Horikoshi Station
岡山県小田郡矢掛町小田は堀越宿といい、矢掛・七日市の間の宿であった。虫籠窓を備えた漆喰の美しい家並が残っている。郵便局だったのだろうか。洋風の建物もある。
IMG_3790

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  井原市へ  Came Into Ibara City, Okayama
小田西で486号線に合流。その先、岡山県井原市に入るところで、鏡獅子の大きな看板が迎えてくれる。彫刻家平櫛田中は井原市の生まれで、名誉市民になっている。神代町で少しの間自動車道から離れると、「高越城址・宝蔵院」と彫った石柱がある。右手のこんもりとした山がそれらしい。
IMG_3800
IMG_3804

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  一里塚・早雲の里荏原  Milestone and Soun Hojo's Birthplace,
また車道に戻り井原鉄道を右方に見ながら西に進む。神代町から東江原町になる。右手の駅名は「早雲の里荏原」で、先ほど見た高越城址は永享4年(1432)に荏原庄(現井原市)で生まれたことによる。車道を離れた青木の山陽道には一里塚の石標があり、「1592年豊臣秀吉設定」と記されている。
IMG_3816

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  今市駅本陣跡  Imaichi Main Lodging for Daimyo
西江原町に入る。今市も小田と同じ間の宿で、立派な商家や民家の建物が見られる。「史蹟今市本陣跡」と書かれた木の標識がきれいに植木鉢を並べた民家の前に立っている。綺麗といえば、町並みはもちろん、このあたりの人々の心も綺麗らしい。後ろから自転車で追い抜いてくる学生、前から来てすれ違う人たちが大きな声で挨拶をしてくれるのだ。何よりもこれが嬉しい。また地元の消防団がきびきびと消火栓の点検をしている。若者ばかりだ。実に頼もしい。西江原が好もしい街に思えて仕方がない。
IMG_3836
IMG_3838

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  甲山神社 Kabutoyama Shrine
甲山八幡への参道があり街道との接点に「史蹟中堀城跡」とある。このあたりに城があったらしい。甲山八幡へと足を向ける。清々しい神社で、背後の山が甲山である。本店の前に立ち振り返ると、街並みが眼下に広がって、ここが随分高いところに位置することがわかる。
IMG_3848

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  日芳川橋・七日市本陣跡・武速神社
            Hiyoshi Bridge, Nanokaichi Main Lodging for Daimyo, Hayatake Shrine
甲山八幡を見て街道に戻り、西進する。「史蹟相田嘉三郎旧宅」の案内がある。上さんが、当地で養蚕普及に努めた人だと教えてくれた。実業家だったんだ。西江原で山陽道は左に折れ、小田川に突き当たる。川の堤防に「日芳(ひよし)橋碑」があり、小田川に架かる橋の由来が書かれているというが、漢文で読めない。上さんの話では、昔旅人は台渡しで渡河したのだそうだ。川の向こうは井原市七日市町で、祭りの触れ太鼓が通っている。七日市のバス停の先に「七日市宿場本陣屋敷跡地」と記す大きな石碑がある。さらに進んで七日市交差点横に「武速(たけはや)神社」があり、さきの祭りの触れ太鼓は、この神社の祭礼であった。古くなって今は担がれなくなった華麗な2台の神輿を見せてもらった。
IMG_3897
IMG_3906
IMG_3907

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  井原駅  Ibara Station
七日市町を進むと左手に井原鉄道井原線井原駅が見えている。広々とした道路を前にモダンな建物だ。近くの運動公園を拠点に高校駅伝の岡山県大会があるらしく、若者がたくさん出ている。岡山興譲館高校と書いた緑の幟を持っている女生徒たちがいる。話しかけると、今年も優勝を狙っていると、明るく答えてくれた。
IMG_3920


choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字   出部 Izue Town
井原駅前の広い道路がまた細道になるあたりに、「嫁いらず観音」への案内看板が立っている。どんな観音様なのだろう。お互いににやけながら街道を進む。やがて出部と言う文字があちこちに見える。「でぶ」とは面白い名前だと思っていると、先に「いづへ駅」への道標があったので出部は「いずえ」と読ませるらしい。染料を作るカミヨ千々木工場の煙突が2本みえている。下出部に入ってすぐ「一里塚」跡があった。虫籠窓・ナマコ壁の民家が田園風景に溶け込んでいる。やがて大曲(おおまがり)跡の看板が見えてきた。山陽道はここで右へ、左へと曲折するが、我々は看板横の地蔵堂の横で小休止をした。
IMG_3943

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  子守唄の里高屋  Birthplace of a Nursery Song
笹賀町と下出部町の境界線を歩き続けると川に出た。背の高い石灯籠、祠、石柱が立っている。石柱の文字は読めなかった。川に沿って歩く。前方に、宝泉院の特色ある本堂とその山門が見えてくる。本堂は修理をするらしく足場が組まれ、正面の垂木には「保存」とチョーク入っていた。宝泉院から先は道路の左右に建物が続く。上さんが、この近くの井原線「子守唄の里高屋」駅のモニュメントを見に行こうと、駅への道を出会った人に道を尋ねると、なんとその人が高屋出身の声楽家上野耐之(うえのたいし)の血縁の人であった。叔父にあたるという。見れば家の横には「中国地方の子守唄と上野耐之」という立派な案内板が置かれている。迷惑を顧みずご自宅の前で記念写真を撮ってもらった。ついで、「華鴒美術館」の立派な建物を見ながら「子守唄の里高屋」駅へ至る。広場に赤ん坊を背負った婦人の銅像を中心に、「中国地方の子守唄」の歌詞碑と上野耐之の顕彰碑が置かれている。駅舎の高架下のベンチでスマホから流れる子守唄を聞きながら昼食を食べた。高架の柱には全国の主要な子守唄が解説されていて、母を思い出しながらおにぎりにかじりついた。
IMG_4024
IMG_4031

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  県境―広島県へ The Border Between Okayama and Hiroshima
街道に戻って西に進む。重厚な家並があり、駅より西のほうが宿場の賑わいを留めているようだ。子守唄の里ロードの終点には大きな看板があり、その向こうにに岡山県と広島県の県境を示す背の高い石標が立っている。いよいよ広島県である。広島県福山市神辺町だが、はるばる来たものだと感慨新たである。その先、八幡神社を右手に見ながら進む。神社が山裾にしがみついている。その先、左手には上御領一里塚の石碑があり、横に菅茶山先生漢詩の碑が並んでいる。道の反対側には旅人の休憩所として四ツ堂がたち周囲にたくさんの石仏が並ぶ。中に一体だけ正面を向いていない佛さんがあり、面白い。
IMG_4055[1]

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  日吉神社  Hiyoshi Shrine
313号線から離れて山裾の道になる。右手に神社があり、山腹に向かって長い長い石段が続いている。「登りましょう」と上さんを誘うが、「一人で行って」とつれない。待っていてくれるというので、登ってみると167段を数えた。
DSC01576

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  備後国分寺  Bungo Kokubunji Temple
下御領の集落に来て、備後国分寺を尋ねることにした。下御領八幡宮の前を通過し、その先が国分寺である。入口の案内には「天平十三年(741)年、聖武天皇の発した国分寺建立詔によって、建立された。正式名称は、『金光明四天皇護国之寺』で、昭和四十七年度から発掘調査により、東西180mのかつての寺跡が判明た」としてあった。国分寺からは松並木の美しい参道を通って、南大門跡のところで街道に戻った。街道は南に方向を変え、天井川の堂々川に沿って進むと、川は高屋川に合流した。高屋川の堤防には大きな地蔵像が祀られていた。
IMG_4152
IMG_4165
IMG_4179

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  神辺の一里塚・廉塾跡  Kannabe Milestone and Renjuku Old School
高屋川に架かる橋本橋を渡ると神辺の宿場街に入ってくる。古市という公民館があるが、神社で境内の隅に一里塚の跡が木碑で示されていた。その先には「特別史跡廉塾ならびに菅茶山(かんちゃざん)旧宅」が公開されている。彼は神辺宿東本陣を務めた本荘屋菅波家の長男で京都で朱子学を学んだ後、当地で廉塾を開き人材育成に努めたという。江戸時代後期の人である。廉塾は国の史跡に指定され、ボランティアのガイドさんが丁寧に案内をしてくれた。出口には茶山饅頭を売る店があった。
IMG_4186
IMG_4197

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  神辺西本陣 Kannabe West Main Lodging for Daimyo
井原線神辺駅が近いが、次に西本陣を尋ねた。尾道屋菅波家は酒造業で、筑前黒田家の専用本陣であったとう。軒がわらには黒田家の家紋があり、「松平備前守宿」と書かれた大名の宿札が何十枚と残されている部屋があった。若い大学生がボランティアガイドを務めてくれ、丁寧に案内してくれたが、彼の後ろの部屋が大名の居室である。
IMG_4241

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  風車  Windmills
本陣の見学のあと、神辺駅へ急いだが、駅前の民家にアルミ缶で作った風車がたくさんかけてあった。「たくさん飲みましたね」なんて話しかけると、「ほう、旧山陽道を歩いていらっしゃる」なんて、少しばかり交流ができた。そのせいか、一足違いで電車が出てしまい、半時間ほど駅で待った。
IMG_4246

choco-milkさんの絵文字 choco-milkさんの絵文字  福山城  Fukuyama Cast;e
神辺駅から福山へJR福塩線で帰る。福山の駅へ戻ると福山城見学をした。昭和20年に福山空襲で天守は焼失したが、戦火を逃れた伏見櫓と筋鉄御門は国の重要文化財に指定されている。菊花展が催されていた。時刻が遅く、天守閣には登れなかった。城を一周したあと、昨日と同じY店で夕食。ホテルに戻った。NHKの「軍師官兵衛」を見て、就寝。
IMG_4284

旧山陽道を歩く (16) Walking along old Saigoku Highway

旧山陽道も岡山県の西部になると大阪からのアクセスが大変で、日帰りが難しくなった。いろいろ考えて2泊3日で設定することにしたが、3人が揃う日がなかなか無く、長い空白ののち、3連休を利用して今日から山陽道歩きを再開した。上さんが練りに練って立案してくれた予定表では、3日間で清音から東尾道まで61.5kmを歩く。初日の今日は岡山経由で前回の終点・清音まで乗り継ぎ、井原鉄道の小田駅まで歩く計画である。が、生憎の雨であった。


jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  清音駅 Kiyone Station
岡山まで新幹線を使った。伯備線で倉敷を経由し、家を出てから4時間半を費やして、9:43分に清音に着いた。今にも落ちてきそうな厚い雲の下、高梁川を渡る。橋の向こうに「史蹟山陽街道一里塚江戸より百八十里」と刻む石標が土手にたつ。
IMG_3588
IMG_3592

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  川辺宿  Kawabe Old Station
岡山県倉敷市真備(まび)町川辺を歩く。植村歯科横に川辺本陣跡を示す石碑がある。本陣は、明治26年の大洪水で流出して、高梁川を舟や徒歩で渡った旅人たちで賑わった面影は何もない。その先、右手に艮御崎(うしとらおんざき)神社がある。山陽道に面して2本の大きな石柱がたち、その奥に神殿への参道が伸びている。石柱に「八雲絶唱大雅千古」「一劍掃妖英武萬年」と、犬飼毅の揮毫が彫られている。艮は僕には読めない漢字で、北さんは「牛と寅の間の方角、北東の意味だ」と教えてくれた。更にその先左手に源福寺の建物が墓地に囲まれて見える。岡田藩主伊東氏の菩提寺で、墓所の石垣の緻密な積み方はすごい。明治26年の洪水で出た200人を超す死者の供養塔もある。384世帯の内、難を逃れたのはたった19戸だったというから、そのスゴさが伺える。
IMG_3599
IMG_3605
IMG_3614

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  真備図書館  Mabi Library
吉備町有井に進む。二万口交差点手前に倉敷市立真備図書館がたつ。入口の彫刻群がユニークだ。IMG_3620

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  まきび公園  Makibi Park
二万口交差点までは一直線の山陽道だが、ここで道が少し右に折れ、少し離れて左折し、箭田の集落に進んでいく。川に架かる橋に「吉備公墓」と刻む石柱があり、右手に折れ、川沿いを「まきび公園」へ向かう。公園内の「まきび記念館」は入場無料で、遣唐使吉備真備の奇跡を示す絵巻物や資料が展示されている。見学を終え、園内の六角堂で昼食をとった。食事を終え、六角堂を出ると雨が降り始めた。雨の中、公園横の吉備寺の山門から庭を見学。吉備真備の菩提寺である。

IMG_3629
IMG_3628

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  一里塚 Yata Milestone
旧山陽道に戻るとすぐに「箭田一里塚」がある。田畑の広がる細道を西進する。ブロックで作られた祠に石仏がおさまっていたりする。486号線の自動車道に合流すると、右手に熊野神社が見える。雨の中靴が濡れだした。黙って横を通過。
IMG_3641
IMG_3644

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  小田川  The Oda River
真備町尾崎で、並行して走る井原鉄道井原線の「備中呉妹(くれせ)」駅はこの近くだ。井原線の高架下を通過すると街道は小田川に接近する。琴弾橋が架り、橋桁に吉備真備のレリーフが見えた。吉備真備が唐の国を思い出しながら小田川の岩の上で琴を弾じたというが、岩は対岸にあり、確認しなかった。右手は井原線との間に刈り取られた稲田が広がる。前方には妹山の椀を伏せたような山体が白い雲を吐きながら横たわっている。小田郡矢掛町東三成に入って道は車道から離れ山裾の細道を行く。吉備大神宮の案内が見える。道路脇には石仏が次々と現れる。「国指定重要文化財下道氏の墓」の看板が矢印をつけて見えた。真備の父の家系というが、山の中腹らしく、行かなかった。ただすぐそばに、「吉備公累代墓」と刻んだ石柱と石仏の収まる祠、石灯籠が並んでいる。
IMG_3650
IMG_3659
IMG_3662

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  東三成  Higashiminari Town
雨は結構激しい。運動靴が濡れ、靴下が濡れ、足が冷たい。東三成の集落はのどかで柿の実が雨でも鮮やかだ。井原線の下を通過。三谷駅が近い。また井原鉄道高架下を通過する。水をたっぷり吸った靴・靴下が不愉快で、持参していた代わりのものに履き替える。足指が全部白くふやけていた。上さんや北さんは、水をはじく革靴をちゃんと用意しており、布靴の僕は惨めだった。さて、街道は小田川に突き当たたる。芦の茂る川床に石仏、石灯籠、山上講供養塔などが並んでいる。、
IMG_3667
IMG_3676

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  矢掛神社  Yakage Shrine
街道は方向を北西にとり、矢掛神社に至る。社殿にはたくさん絵馬がかかっており、明治15年に奉納された伊勢参詣図が矢掛(やかげ)町の重要文化財になっていると説明がある。しかし、結局特定できなかった。
IMG_3687
IMG_3695

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  矢掛脇本陣  Yakage Waki Honjin, sub lodging for daimyo 
山裾から離れ、川を渡って矢掛町東町へと進む。一里塚跡が示されている。元町に来ると重厚な家屋が街道の両側に展開するようになる。切妻屋根の連なる向こうに黒い漆喰の蔵と横長の大きな家屋が見える。矢掛脇本陣高草家住宅である。金融業を営み、後矢掛の大庄屋となった。見学はしなかった。
IMG_3708
IMG_3713

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  矢掛本陣  Yakage Honjin, main lodging for a daimyo
矢掛の町並みを左右を見ながら歩く。来週は宿場まつりで、大名行列が行われるので、赤い幟が家ごとにたてかけてある。脇本陣から400m程行った西町には、代々大庄屋で酒造業で繁栄した矢掛本陣石井家住宅がある。割引入場券300円で見学に入ると、ガイドさんが大名の宿所を案内してくれる。庭、大名の宿泊を伝える板看板、大名の泊まった部屋などを見て回った。脇息に持たれて座布団の上に座って大名気分も味わった。ついで米倉、酒蔵、絞り場などを見学。400年もの間よくこれだけ残されたものだと只只感心する。
IMG_3725
IMG_3732
IMG_3739

jun0429さんの絵文字 borikoさんの絵文字  井原線  Ibara Line
矢掛宿を出て小田川の支流を渡ると矢掛町東川面の集落になる。街道は大曲を経て、486号線の自動車道に合流した。雨は激しさを増し、2足目の靴も靴下もすっかり濡れた。このあとは特に見学する場所もないと決め、雨に塗れないようにカメラをしまった。そしてひたすら歩く。川面・西川面・本堀・浅海と辿るが、途中横を通過する車が後ろから雨水を跳ね上げ、ズボンがびしょ濡れになった。文句も言えず惨めだったが、矢掛の宿から1時間半を休みなしに歩いて井原線小田駅にたっと到着した。車内には矢掛の大名行列のポスターが井原の葡萄のと並べて架かっていた。小田から神辺を経て福山駅に到着。夕食を済ませて福山城横のホテルに逗留。
IMG_3759

旧山陽道を歩く (15) Walking along old Saigoku Highway

8月28日、JR吉備津駅から清音駅まで、旧山陽道を歩いた。およそ14~5kmである。大阪を出る時にはしっかりと雨が降っていたが、吉備津駅に着くと曇天ながら雨が上がっており、歩くには絶好のコンディションになった。前回から1週間しか経っていないのに、空気は急に秋めいている。天候とは関係ないが、北さんは、昨日ギックリ腰になった。ギックリ腰を押しての旅行で、列車内などで立ったり座ったりするのが随分辛そうだった。「歩いているときは、そんなに苦にならない」と北さんは言う。その言葉を真に受け、旅の終盤、JR清音発の列車に間に合うようにと、3kmほどを僕は先頭にたってかなりの早足で歩いた。でも、北さんも上さんも、何の文句も言わずに駅まで歩き通してくださった。おかげで列車に間に合った。北さんの精神力、上さんの体力の凄さには、またしても脱帽である。


さんの絵文字吉備津駅から出発okei-puyoさんの絵文字   Starting from JR Kibitsu Station
吉備津の駅を出るとすぐ旧山陽道に入る。車が一台通るのが精いっぱいな細道を西進する。雨の心配もなさそうで、この先どのような筋書きが展開するのか、楽しみである。さて吉備津であるが、Wikipediaから引用すると、「元は吉備津地区は「真金(まかね)」と呼ばれていた。由来は、『古今和歌集』で吉備中山について「真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の音のさやけさ」と歌われたことに由来している。この歌中の「真金吹く」とは吉備国を表す枕詞であり、「真金」は鉄という意味である。」と。
IMG_3123

okei-puyoさんの絵文字 板倉宿 さんの絵文字   Old Itakura-juku Station 
吉備津駅から5分ほど歩くと、西川に架かる橋に「旧山陽道板倉宿」と書いた看板が見える。手前の地蔵さんがかわいい。道の反対側にはいまにも朽ちて倒れそうな社の前の赤い鳥居に「正一位稲荷大明神」と小さな額が懸っている。板倉宿の看板の下には「大橋」「おほはし」と刻む石柱がたっている。この橋の名前だろう。文化3年(1806)、板倉宿本陣の規模は、間数8間、畳数99畳、脇本陣は、間数5間、畳数41畳で、宿泊家数70軒であったと『板倉村旅宿軒数書上』に記録されているという。先に訪れた吉備津神社、吉備津彦神社を控えて歓楽街もあったらしい。なまこ壁の土蔵や、その前にたつ「金毘羅大権現 吉備津宮」と刻む石灯籠が雰囲気を伝えている。
IMG_3127

さんの絵文字真金十字路okei-puyoさんの絵文字   Makane Intersection
さらに5分ほど歩くと、「真金十字路」に至る。右手は備中松山城への道だ。角に地蔵堂があり、前に「奉納大乗妙典六十六部日本回国供養塔」と記す文化2年(1805)の供養塔と、大峰山33回登山の記念碑が立っている。地蔵堂内を見ると、多数の仏像が整理されて収められている。十字路の反対側にも石柱がたっており、「西井山寶福寺二里半 右松山江八里足守江二里 南庭瀬江 三十丁 牛の鼻ぐり塚」などと案内する。福田海の鼻ぐり塚が案内されている。
IMG_3136
IMG_3139

okei-puyoさんの絵文字 惣爪さんの絵文字  Sozume Town
惣爪の集落を進む。面白い名前で、鎌倉時代以降新田開発が行われて、「此地も惣て埋しといふより惣爪とは名付けたるよしいへり」(平家物語)とあるそうだ。新田開発が完了したということらしい。右手の日蓮宗の題目碑や、左手の石仏群を見て進む。
IMG_3146

さんの絵文字足守川okei-puyoさんの絵文字   River Ashimori
さらにその先に「御埜立(野点)所」と彫る自然石が立っている。明治天皇が野点をした所らしい。惣爪を通過すると倉敷市の標示があり、足守川の橋を渡る。川に沿ってちょっと歩くと鯉喰神社の案内があり、左手に折れて進む。
IMG_3151

okei-puyoさんの絵文字 矢部集落さんの絵文字  Yabe Town
足守川を左に取る。すぐの交差点に大正4年の道標がある。、「川辺 やかげ そう志や道 金毘羅くらしき庄早島 吉備津岡山大阪」の各方面を扇子を持った手で示すユニークな道標である。右手奥に鯉喰神社が見える。IMG_3158

さんの絵文字鯉喰神社okei-puyoさんの絵文字   Koikui (Carp Eating) Shrine
鯉喰神社の案内に曰く、「吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した」とある。神話の裏にはどんな事実があったのだろう。興味を惹かれることである。我々は鯉喰神社の裏にある高野山真言宗の寶泉寺で昼食にした。
IMG_3166

okei-puyoさんの絵文字 江田集落さんの絵文字  Eda Town
さらに西に向かう。宝泉寺を出たときから山陽自動車道に至るまで、道の両側に墓地が点々と続いている。こんな田舎にこんなにもたくさんの墓地が必要なのかと話しながら歩く。田圃道には「帝釈天」や「毘沙門天」を案内する道標があった。右手に「造山古墳」の案内表示があるが、見学省略。先に墓地があり、そこから造山古墳の全景が見えた。僕は以前自転車で吉備の国を巡っており、造山古墳も見学した。全国では第4番目、大仙陵古墳(約486m)、誉田御廟山古墳(約420m)、上石津ミサンザイ古墳(約360m)につぐ大きさだとのこと。
IMG_3187

さんの絵文字宿集落okei-puyoさんの絵文字   Shuku Town
備中国府尼寺、こうもり塚古墳などの案内が見える。自転車で訪れたところだ。この辺りは総社市宿という地名で、宿の町並みについて説明板がある。「宿は旧山陽道の宿場町として栄え、街道沿いには今も当時の名残をとどめる屋号の残る家がたくさんあります。また、木野山町、戎町、荒神町、金毘羅町、牛神町などお祀りする社の名前のついた町名が今も使われています。北には備中国分寺や同尼寺跡、すぐ南側には寺山古墳があり、吉備寺の中心に位置します」と記されている。説明板は三宅酒造のすぐ前にあり、女主人?が資料館を見て行くようにと勧めてくれたが、時間が無く、お断りした。なまこ壁の大きな酒屋さんで、長い建物がと切れたところに「聖武天皇勅願道場國分寺」と刻んだ大きな石柱が立っている。我々はその横の細い路地を通って国分寺に向かった。
IMG_3201

okei-puyoさんの絵文字 備中国分寺さんの絵文字  Bitchu Kokubunji Temple
270号線を渡ると、五重塔がいかにものどかな草原の向こうに、樹木の緑から躰を突き出して堂々とたっている。国指定史跡備中国分寺跡は参道脇に案内があり、「国分寺は国分尼寺とともに鎮護国家を祈るため天平13年(741)に聖武天皇の勅願によって建てられた官寺です。寺域は東西160m、南北180mで、周囲には築地土塀がめぐらさており、寺域内には南門、中門、金堂、塔などの伽藍が配置されていた」とある。なお、中世には廃寺となり、江戸時代中期に、日照山国分寺として再興されたとされている。五重塔は国の重要文化財で、江戸時代後期の建築である。初層の頭貫の上には、1面に3つずつ、十二支の彫刻が彫ってある。帰路、人に頼んで写真を撮ってもらった(上さんの写真を使わせていただきました)。
IMG_3213
IMG_3226
IMG_3240

okei-puyoさんの絵文字 地頭片山さんの絵文字 Jito-katayama Town 
「宿」を出て、大溝川という小さい川を渡ると、「守安馬太之」というのががあった。由来は不明。左に進むと「角力取山古墳」の案内がある。方墳とのこと。その先に「金」と彫った常夜燈がある。総社市山手支所前を通過後、吉備考古館が左手に見えた。見学は省略。山手郵便局を通過すると、左手に「旧山陽道一里塚」跡が残されていた。山手村指定史跡としてある。この説明板の横に「「熊嵐之墓」があった。大正時代のものだが、これも由来は不明。
IMG_3258

さんの絵文字清音三因okei-puyoさんの絵文字   Kiyone-miyori Town 
旧山陽道は県道へぶつかる。手前左手には「山田池」というため池があり、堤防の上の地蔵像が池を見つめている。県道は上り下りしてちょっとした峠になっている。峠を下ると清音(きよね)で、清音三因(きよねみより)の地名があった。三因千塚古墳群のあるところだ。この辺りで、清音駅発の列車時刻が気になって来た。14:54分発である。現在の時刻が14:32分。北さんに「20分ほどで3kmほどを歩くことは無理ですね」と話す。が、次の列車は1時間に1本ほどしかないとのこと。俄然ファイトが湧いてきた。軽部神社の案内から早足になった。ピッチをあげる。清音小学校を過ぎるとき、反対側に宝篋印塔の残滓が見えたが、歩きながら写真を撮る。伯備線の踏切が見えて、すぐに近づき、通り過ぎた。
IMG_3283

okei-puyoさんの絵文字 JR清音駅へさんの絵文字  Dashing Toward JR Kiyone Stn.
踏切を渡った先に、JR清音駅への近道があったが、街道は高梁川の堤防になっているので、堤防に沿って歩いた。ちょっとだけ遠回りだったが、目の前にJR清音駅が見えてきた。なんと到着したのは発車時刻の3分ほど前であった
IMG_3292

さんの絵文字伯備線JR清音駅okei-puyoさんの絵文字   JR Kiyone Stn.
水が飲みたかった。でスポーツドリンクを買い、一気に飲み干した。電車が動き出して、ほっと胸をなでおろした。上さんも北さんも、スゴイ。後ろからもっと早くもっと早くと追い立てるように歩いたのだから。
IMG_3293

okei-puyoさんの絵文字 次回の旧山陽道さんの絵文字  勤務が始まり、9月、10月は計画が立たない。それで、次回は11月の1日~3日に実施することになった。楽しみはしばらくおあずけである。

旧山陽道を歩く (14) Walking along old Saigoku Highway

青春切符を使ってもっと距離を伸ばそうと、上さんから提案を受け、今日、旧山陽道の備前三門から吉備津までを上さん、北さんと3人で歩いた。そして、番外として、「水攻め」で知られた高松城を訪れた。広島ではこの数日の激しい雨で多大の被害が出ているが、吉備路は、青空に薄い秋の雲が見えるものの厳しい暑さで、雨傘を日傘に替えてさして歩いた。距離にして10km余り、大した距離は稼げないが、大阪の南部から、ここまで来るのに片道4時間ほども費やせねばならず、炎天下の徒歩旅行は結構苦しい旅であった。帰路の列車は何回も乗り換えが必要で、疲れたためか列車に乗ると眠ってしまい、その都度上さんや北さんに起こしてもらった。


sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字  岡山駅  JR Okayama Station
岡山から備前三門への乗り継ぎ時間がもったいないので、岡山から旧山陽道に入った。岡山駅の西出口には可愛い子どものブロンズ像があった。この辺りは児童文学者の坪田譲二の出身地であると案内がしてある。『風の中の子供』『きつねとぶどう』など読んだことがある。駅周辺の高層ビルから岡山の繁栄が見える。石井小学校前を通り、北西に進み、三門東の「京橋江近道」とする石柱の立つところで、旧山陽道に入る。ここは前回通っているはずなのに、この石柱は見逃していた。
IMG_2860

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字  法華の名号  Stone statues with Hokkekyo Sutra
前回の終点、JR備前三門駅にいたる交差点に着いた。ここからが本日の山陽道である。右手2本の道路の左の細い道が旧山陽道で、すぐに成願院の立派な山門前を通過した。その先には「真言宗」「常福寺」と刻む石柱があるが、双方とも中には入らなかった。道は自動車道にいったん交わり、巌井富山町とする信号で分かれて左手の細道に進む。登り道でだんだんと右手が開け、向こうにビル街が望まれる。さらに坂を登ると、左手上に何やら石造物が見えた。上さん、北さんは先に道を進んでいるが、興味にまかせて石造物を確かめに行った。いちばん大きな石造物は真っ白な部分に法華経の題目が刻まれている。その周囲には、石灯籠など6個の石造物が並んでいた。右端のものは「高橋五六顕彰碑」だというが、文字がはっきりと読み取れない。後を振り返ると、さらに3基の大きな題目碑が立っている。写真を撮って急いで上さん、北さんを追いかけるが、「おほくらはし」という小さな橋を渡った先の左手上方にまた、2基の石造物が見えたので、上がってみた。これも1つは題目碑で、下に「法界萬霊冥福塔」と刻んであった。左手のものは地蔵像で「法界」と刻んでいた。写真を撮ると、急いで二人に追いついた。
IMG_2871

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   北向八幡宮  Kitamuki Hachimangu
万成西町を過ぎ、八坂東町集会所にいたる。左手の森が北向八幡宮で、「神徳昭々彌六合」「天海謐々謳昇平」と刻む2本の石柱の間に参道が続いている。日陰をここに選び、休憩をとることにした。後ろ足を天に向け鯱のように立つ駒犬を、汗を拭き拭き見ながら躰を冷やした。「上さんみたいに元気な狛犬だね」などと軽口を言ってるうちに汗が引くと、八幡宮の周りを廻ってみた。左手に竜王堂があった。御堂の裏手に巨大な磐座がある。説明板によれば、日蓮宗に深く帰依した富山城主松田氏が艮(ウシトラ)封じとして城の東北に八大竜王を勧請したものだという。この山の上には富山城があったのだ。
IMG_2883

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   法華経題目碑  More Statues with Hokkekyo Sutra
再び旧山陽道に戻る。集会所の前に石碑があり、笑塚としてある。芭蕉の句碑で「八九間 空で雨ふる 柳かな」と刻んである(横に注があるので読める)。碑には「慶応三年(1867)丁卯三月十二日」と刻んでいる。150年ほど前のものだ。さらに集会所の裏手には、題目碑がいくつも並んでいる。これまで見てきたように、この辺り一帯にはたくさんの法華経の題目碑が見られるが、「備前(岡山)法華と安芸(広島)門徒」という言葉がある。特に富山城主の松田氏は、武力・政治力を背景に他の宗派に改宗を迫って法華宗を広めたという(謎が解けた)。
IMG_2888 (2)

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   矢坂東町  Yasaka-higashi Town
矢坂東町を進んでいく。4丁目に地蔵堂が立っており。中を覗くと大きな立派な石仏で、奉献と刻む線香立てには、菊の紋が見える。御堂の右手の民家は立派で、山陽道の雰囲気を強く残していた。
IMG_2914

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字  楢津から吉備津彦神社へ  Narazu Town to Kibitsuhiko Shrine
矢坂本町から笹ヶ瀬川の橋を渡って楢津(ナラズ)に来る。車の往来の激しい180号線に沿ってしばらく歩いて、中川を渡る。本来ならこの先もずっと180号に沿って旧山陽道は進んでいくのだが、我々は橋を渡ると吉備津彦神社参道とする石柱の案内に従って左折をし、吉備津彦神社に向かった。JR吉備線を越えたとき、2両連結の列車が通った。
IMG_2930

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   吉備津彦神社  Kibitsuhiko Shrine
吉備津彦神社には以前来たことがある。今回神社の左手横から入ったので、景色をあまり覚えていなかったが、神社の正面に来ると、美しい松並木の参道の記憶が改めてよみがえった。大化改新の後、吉備国は備前・備中・備後に分割され、備前国一宮として吉備津彦およびその一族神を祀るのがこの吉備津彦神社である。創建年代は不明ながら平安時代には歴代の国司の、中世以後は歴代領主の崇敬を受けてきた。神門を入ると左右に巨大な安政の石灯籠が一対聳えている。「6段造り、高さは11m、笠石は8畳敷の広さがある。文政13年(1830)、安政4年(1857)の2度にわたり、地元有志が発起し、寄進を募り、奉納された。その寄付者の数1670余名、金額にして5670両(1億3000万円)である」と案内する。本殿は元禄10年1697)に造営したもので、重要文化財である。摂社の子安神社や天満宮を見て、階段を下ると、不思議なものがあった。巨大な丸い二つの白い石が並んで注連縄で飾られている。現在工事中らしい。何ができるか、楽しみだ。
IMG_2957
IMG_2958
IMG_2977

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   吉備の中山  Kibi-no-nakayama
吉備の中山と呼ばれる山を廻るように進んで、吉備津神彦神社から吉備津神社へと歩く。この道は旧山陽道ではないが、自動車道を歩くよりはと、この道を歩いた。寂れたあいまい宿を過ぎると、左手に大きな墓地が山の斜面に現れる。その墓地の向こうの端に「天柱岩登り道」の案内がある。吉備の中山には祭祀跡や古墳が多く、ハイキングコースになっている。墓地を過ぎると、こんどは小さな川が流れており、「細谷川」「両国橋」の文字を刻んだ2つの石柱が立っていた。この川が、備前の国と備中の国の境界にあたり、細谷川に架かる橋を「両国橋」と名付けたのは至極自然である。細谷川を示す石柱には、「真かねふくきびのなかやまおびにせる ほそたに川のおとのさやけさ」と歌が刻んである。古今集に載っているのだそうな。両国橋の石柱にも歌が刻んであるが、「野は里にひらけゆく世も谷川の細き流れになを残すなり」と詠むのだろうか、草書は読むのが難しい。
IMG_2988

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   福田海  Fukudenkai Temple
両国橋のすぐ隣に大きな舞台状の建物が見える。福田海(フクデンカイ)本部の長床で暦祭を行う場所という。鼻ぐり塚の案内があるので、寺に入ろうとすると入山料が100円必要。結局道路の外側から覗う形で中を見た。色々な建物や石造物が見える。弥勒殿が中央にある。さて、鼻ぐりとは牛の鼻輪のことで、牛たちは労働に使われ、最後は解体されて一生を人間に尽くすが、その大恩に報うために鼻輪を集めて浄祭することを、この寺の住職が始めたという。今も年間数万個の鼻ぐりがおさめられるとのこと。
IMG_2994
IMG_3002

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   吉備津神社 Kibitsu Shrine
吉備津神社に到着した。階段の下に「吉備津神社」と彫った石柱があるが、犬養毅の書だと上さんが教えてくれた。ちなみに緒方貞子さんはこの人の孫。吉備津神社と吉備津彦神社の違いはなんだろうと、吉備津彦神社のホームページを見ると、「古くは二社とも『大社 吉備津宮』といわれていた。大化の改新(645年)以後、吉備の国が備前、備中、備後、美作の国に別けられて以来、吉備津彦神社は備前の一宮(岡山市一宮)、吉備津神社は備中の一宮(岡山市吉備津)として現在にいたる」としている。先に触れた両国橋の話の件である。石段を上がって本殿にいく。これは比翼入母屋造り(吉備津造り)と呼ばれる建物だが、実に美麗であう。国宝であるのは当然だと思う。つぎに回廊を通り、御釜殿へ行った。御釜殿では鳴釜神事の最中らしく、釜から湯気が噴出していた。吉備津駅には、鳴釜神事の話が絵入りで掲げてあった。「吉備津彦命(桃太郎)に退治された温羅(ウラ)は吉備津彦命の夢枕にあらわれて、『吉備津神社のかまどの下にうめてくれぇ。そのかわりに、釜を鳴らして吉凶をつげるから』といったんじゃと。これが吉備津神社鳴釜神事の始まりじゃ」と、説明してあった。ちなみに鳴釜神事の占い料金は3000円であった。  
IMG_3010
IMG_3021
IMG_3028

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   吉備高松へ   To JR Takamatsu Station by train
予定ではこれで本来の旧山陽道歩きは終了であるが、水攻めで有名な備中高松城を見学するため、JR吉備津駅から、次の備中高松駅まで列車に乗った。
IMG_3036

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   高松城水攻め  Flooding the Castle with Water
つい先だって、大河とラマ「軍師官兵衛」で備中高松城水攻めの場面が放送された。高松城とはどんなものか長年見たいと思っていたので、上さんが計画に組み込んでくれてこの上なく嬉しかった。果たしてJR備中高松駅にも例の絵入りの案内があり、「天正10年(1582)6月4日、ここ備中高松には備中高松城がそびえていたんじゃ。秀吉は沼に囲まれた城を落とすのにたいそう手を焼いたそうな。そこで考えたのが足守川を堰き止めて流す水攻めじゃった。高松城はあっという間に水の中の孤城となったんじゃ。今でも高松城主清水宗治の首塚が残っておるそうな」としている。駅から数分歩くと高松城址公園に着いた。資料館があり、入場して資料を見る(入場無料)。なまこ壁の土蔵を利用した資料館は中が涼しくて、涼を取るのに最適だった。ジオラマや清水宗治の像もあった。彼は籠城1か月余、秀吉の示した和平条件に従い、城兵の命と引き換えに、6月4日、兄の月清入道、弟難波伝兵衛、監軍末近信賀らとともに秀吉の陣前で自害した。「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔にのこして」は彼の辞世の歌である。資料館の横に「水攻音頭」が掲げてあったが、どんな曲かとYou-tubeを開いたが配信されていなかった。音頭の歌詞はこうである。「1.時は天正のその昔 天下制覇の信長が中国毛利を討つために羽柴秀吉将となす。 2.破竹の勢なる敵兵の進路封ぜし高松城 智勇の誉れいや高き 清水宗治ここにあり。3.攻めあぐみたる秀吉が謀るは水攻め降る雨に 二十六丁の土手を築き足守川の水を引く。4.増えゆく水の心なく寄せくる水面波高し 城兵五千その頬に降るは涙か五月雨か。5.今や武士道一つ などてこの身を長らえん 主家城兵の安泰と散るや宗治いさぎよき。6.巡る歳月幾年か松風さわぐ城跡に武士の鑑と歌われて吾が高松の華と咲く」。音頭となると何やら踊りだしそうだが…。 
IMG_3043
IMG_3065

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字   蛙ヶ鼻  Kawazu-ga-Hana
上さんは今でも土手の一部が見られるという。土地の人が「あの鳥居の手前を左に取って行きなさい」と示す手の先は、巨大なブルーの覆いで覆われた建築物。北さんと列車の車中で、あれは何だろうと話していたやつだ。僕は高速道路の橋桁だと思っていたが、実は最上稲荷の鳥居で、現在ペンキを塗りなおしているところなのだという。実に大きな鳥居だ。さて、我々は間違わずに蛙ヶ鼻と呼ばれている築堤跡に辿りついた。堤防の高さ8m、底部24m、上幅12m、長さは「音頭」によると、26丁、2.84kmである。それをたった12日間で完成させたのは、「報酬」である。土1俵につき銭100文、米1升と交換して百姓たちを動員したという。発掘された堤体が蛙ヶ鼻にはそのまま保存されていた。
IMG_3088

sorami28さんの絵文字 munitblogさんの絵文字  蛙ヶ鼻の見学を終えて、我々は再び備前高松の駅に向かった。列車の時間までしばらくあったので、近くのスーパーに行き、アイスを食べた。今日はアイスは半額という。レストランみたいに座るところも、冷たい飲み水も用意してくれてある。スイカアイスを食べてすっかりと汗が渇くまで、時間をかけた。地獄に仏のような、お店だった。さて、次回は吉備津から清音までの間を歩くと言うことで、早速夕方には計画書が送付されてきた。上さん、ありがとう。8月28日を楽しみにしています。

旧山陽道を歩く (13) Walking along old Saigoku Highway

8月6日、原子爆弾が広島に落された69年目のこの日、我々は旧山陽道歩きの記録をさらに伸ばそうと、行脚の旅を実行した。今回は、JR山陽線の上道駅から備前三門までの区間を歩いたが、ありがたいことに、空は今にも雨が落ちそうな曇天で、風もあり、8月とすれば随分と快適な歩行日和であった。実は、当初の実施計画は昨日だったのを、僕に別用が出来、日程を変更してもらったので、上さんからは、よくぞ今日に日程変更してくれたと感謝されたが、僕が天気具合を予測したわけでもないので、僕の手柄ではないことは重々承知ながら、良かったなと、安堵の胸を撫でた次第。左足小指に血豆はできたが、それでもまた、いろいろなハプニングを楽しんだ旅であった。
On the 69th Atomic Bomb Memorial Day, we had a walk along the Old Saigoku Highway between JR Joto and Bizen Mikado stations.

smilelineさんの絵文字  上道駅  Joto Station
家を6時前に出発、JR上道駅には9時半に着いた。新幹線や山陽本線を左に見ながら、田圃やブドウ畑の広がる細道を西に向かう。「上道北方浮田学区連合町内会」の立てた交通安全標語を見ながら、我々も交通事故に遭わないようにと祈りながら歩く(9:47)。ちなみに、浮田は宇喜多に通じると思うがどうだろう。
Leaving home at 6 in the morning, we arrived at JR Joto Station at 9:30. 
IMG_2615
IMG_2620

smilelineさんの絵文字  鉄(くろがね)  Kurogane
さて、鉄(くろがね)集落のはずれに伊勢燈籠の常夜灯が立っている。その四つ辻の対角に、柵の中に大小の石柱と石の庵が1つ置かれている。大きな石柱が安国寺経塔で、案内にその由来が書かれている(9:53)。「備前の国安国寺は明応年間(1492頃)戦火で焼失した。江戸時代の始め(1600頃)までは寺は荒廃していたが眠室宗安禅師が昼夜無休で経典一万部に近い読経の大事業を遂げ寺の再建を記念して経塔を建立した」とある。
We spotted an old stone lantern and some statues on the way.
IMG_2622

smilelineさんの絵文字  藤井の宿 Fujii Old Station
次は「藤井」の集落で、総社八幡宮と刻む石額の懸る鳥居の奥に、急な石段が見える(10:03)。左側の常夜燈横に藤井宿の案内があり、参勤交代の休泊地として、本陣(安井家)、旅籠屋等が整備され大変賑わった、とある。確かに沿道には古い日本家屋の家が建ち並んで、古道の面影を残している。本陣の安井家を探すが、案内は無い。安井という表札のかかる家があり、潰えた土塀から庭を見ると楠の大樹が大きな傘のように枝を広げる家があった。ひょっとすると、このお宅が本陣だったのかも知れない(10:09)。話は変わるが、僕の履いている靴がキュッキュッと鳴り出した。どうも異変が起きているようだ。もう何年も履いている靴で、底はすり減り、張り合わせたゴムが剥がれかかっている。しばらく歩いていると、音が鳴りやんだ。おかしな靴だ。
We tried to find the honjin house but not really. Honjin is an inn officially decignated as a lodging for a daimyo in the Edo period.
IMG_2636-1
IMG_2646

smilelineさんの絵文字   素戔嗚神社  Susanoo Shrine
藤井宿のはずれの三叉路に素戔嗚神社があり、その前に「新往来」の説明がある(10:12)。長州藩の下関砲撃事件を機に、これを征伐に向かう諸藩の藩士たちが岡山城下を通過することを回避するため、この辺りから北に迂回する山陽道付け替えを行ったことが記されている。鳥居の右の柱には、慶応8年(1872)の年号が見える。
IMG_2636-4

smilelineさんの絵文字  山石さん  Kind Person
さて、その先を歩いていると、畑でトマトを手入れしている男性が目に留まった。声をかけると、トマトをちぎって来て、食べろと勧める。ありがたく頂戴した。おいしいと言うともっと食べろとまたちぎってくれた(10:34)。彼はかつて台湾総督府に務めていたと言う。上さんも子どものころ台湾で生活していたので、台湾の話で盛り上がった。意気投合して、彼は今度はドリンクを飲めといって、ガラス瓶の精力剤を各自にくれた。このようなお接待は、四国八十八か所歩き以来のことである。彼の名は山石さん。年齢は80代の半ば。台湾へ一度行きたいと思いながら野菜作りを楽しんでおられる。山石さんと別れた直後、今度はバイクの男性が我々の所に来て、バイクを止めた。彼は秀吉の中国大返しに興味を持っており、その3つのルートを辿っている最中だという。そして、自分の調べたことを一方的にどんどん我々に話し始めた。余りに専門的な内容なので、彼の相手は上さんに任せることにして、僕は彼のそばからそっと離れた。
Met Mr. Yamaishi, who kindly served us tomatoes and nutiritional suppliment drink.
IMG_2659

smilelineさんの絵文字  長岡郵便局  Nagaoka Post Office
やがて、山陽本線と赤穂線が合流する踏切を渡る(10:55)。岡山長岡郵便局のところに石柱が立っており、「長岡駅 西大寺観音道 四国秩父西国阪東巡拝為也」、また別の面に、「岡山玉島神戸大坂京道」などと彫られている11:03)。
The place JR Sanyohonsen Line and JR Akoh Line meets.
IMG_2665

smilelineさんの絵文字  天鴨神社 Amagamo Shrine
右手に山陽電子工業の会社が見える。その反対側に古い石柱が2本見えた。右は「郷社 氏子」、左は「廣?」と刻んである。石柱の背面には、右には、「明治十有五年」、左には、「壬午林鐘五建」と文字が刻んである。林鍾五は韓国の人の名前かなと思っていたが、調べると、「林鍾」とは六月のことらしい。林鐘五は、6月5日のことかも知れない。石柱の間を通って奥に入って行くと、これが天鴨神社(11:15)。上さんは「鴨が付くから加茂氏が関係しているだろう」と言う。天鴨神社を見学してから、しばらく街道に沿って歩く。岡山市立幡多小学校の前を通る(11:40)。腹が減って来たので食べる場所を探していると、北さんが右手に曲がるように言う。先に正八幡宮という小さな神社があり、ここで食事をした(11:45)。また、裏手の公民館で用を足した。さて、この神社の随身門には変顔の「矢大神・左大神」がおられた。とぼけた顔が愛嬌がある。
IMG_2679

smilelineさんの絵文字  百間川  Hyakken River
藤原の交差点を過ぎ、左手に折れると、やがて川の土手に辿りついた(12:33)。百間川で、堤防に上がると向こう岸に階段があり、その先に町並みが続くのが見えた。昔はこの川を歩いて渡ったのだろうか。我々は右手の原尾島橋を渡って対岸に行く。対岸は、原尾島2丁目の集落であった(12:42)。百間川は、旭川の氾濫から岡山城下を救うために、江戸時代初めに岡山藩主池田光政の命で築造された人工川で、旭川放水路とも呼ばれるのだそうな。スゴイ!大阪の大和川と同じだ。
Crossed the Hyakkengawa River. Hyakken is a distane of a  hundred ken, about 180meters wide.  
IMG_2700

smilelineさんの絵文字  内田百閒  Uchida Hyakken
原尾島(はらおじま)3丁目の交差点を過ぎ、国富の集落に入ると、名号石があった(12:59)。名号の下に、「南無観音寺」という文字も見える。その先の森下町には「惣門跡」があり、「天正元年(1574)、宇喜多直家が岡山城下町の入り口として惣門番所を設けた跡」だと案内があった。さて、森下町は作家の内田百閒の生地で、彼を記念する案内が設けられている(13:04)。夏目漱石の門下で、黒澤明の映画の「まあだだよ」は、内田百閒を描いたものだ。百間を演じていたのは松村達雄、香川京子がその奥さんだった。所ジョージも出演していた。黒澤明の遺作の映画だ。百閒の名は、百間川から付けたものだという。
Morishita Town is the birthplace of Hyakken UCHIDA, a writer, described AKIYOSHI as "a man with a mean face" when UCHIDA was an instructor at the military academy.
IMG_2716

smilelineさんの絵文字  旭川  Asahikawa River
森下町のその先は、古京町になる。岡山城や県庁、後楽園が近い。勲橋を渡って、先の十字路を右手に折れる。角には吉備団子屋があり、総本家としている(13:20)。次に小橋町に来る。これから渡る旭川には2つの中州があり、3つの橋が架かっている。初めが小橋で、路面電車が走ってきた。小橋から右手を見ると、水門の間に岡山城の天守閣が顔をのぞかせている。初めの中洲は東中島町で、中橋を渡って西中島町、次いで京橋を渡ると、旭川対岸の京橋に来る。京橋を渡ったところに「迷子しるべ」の石柱がある(13:30)。「明治廿五年(1892)」に岡山市役所が立てたもので、「たづぬる方」「しらする方」と彫られていることから、この界隈のかつての賑わいぶりがうかがえる。
We crossed three bridges over the Asahikawa River. Why three?  Because there are two sandbanks in it.
 
IMG_2747

smilelineさんの絵文字  鳥人  The Bird Man
旭川の堤防で休憩をした。堤防に沿って歩くと、公園になっていて、いろいろ興味ある物が置かれている。この辺りを「旧橋本町」といったことを表す碑、電信発祥の地の碑、森崎稲荷神社と愛染の樹、延宝9年(1681)の京橋の橋脚、世界で初めて空を飛んだ表具師幸吉の碑などが並んでいる。このうち、表具屋幸吉こと浮田幸吉は、Wikipediaによると、「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出し、それを人間の体に相当する翼を作れば人間も鳥と同じように空を飛べるはずであると考え、竹を骨組みに紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼を製作した。試作を繰り返し、天明5年)(1875)夏、」旭川に架かる京橋の欄干から飛び上がった。風に乗って数メートル滑空したとも、直ぐに落下したとも言われる。河原で夕涼みをしていた町民の騒ぎとなり、即座に岡山藩士によって取り押さえられた。時の藩主池田治政により岡山所払いとされた。」とある。
Hyoguya Kokichi flew with wings in 1875.
IMG_2760

smilelineさんの絵文字  岡山  Downtown Okayama
とうとう右足の靴底のゴムが剥がれてしまった。ペラペラとして歩行が困難だ。と、上さんはすぐそばに自転車屋があるのを見つけ、ここでゴムを切ってもらってはと教えてくれた。店に入ると女性の店主が、ハサミで丁寧に切り取ってくれ、用無しになったゴムも始末してくれた。「靴がどうか最後までもってくれますように、裸足で歩かなくてもいいように」と、祈ったことだ。西大寺町商店街のアーケードの下を進んで行く。手元の地図では途中で右手に折れるようになっているが、どこの角かよく分からない。通りの女性に聞くと、オランダ通りだと教えてくれた。実際オランダ通りを進んではみたが(14:10)、後になって間違いなのがわかった。一筋奥が旧街道のようだ。旧上之町の案内のある商店街を抜けると、路面電車の走る大通りへ出た。山陽道はここを左折、柳川の停車場辺りで、右手に折れ、北上する。金刀比羅神社前を通過(14:23)。街道は再度左折し、このまま西に向かう。西川にかかる青柳橋は鶴の首が街灯になっている。面白いデザインだ。岩田町で新幹線をくぐると、旧萬町の標示があった。この辺りが岡山城下の西口だという。山陽本線を地下道で抜ける。抜け出たところに、「智明(ちみょう)権現」と刻む大きな石碑と隣に地蔵が、樹木の下に立っている(14:36)。Wikipediaによると、智明権現は、「大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で あり、地蔵菩薩を本地仏とする」とあった。
Walked zig-zag in downtown Okayama.
IMG_2797

smilelineさんの絵文字  奉還町  Hokancho Street
地下道を出たところで、また道に迷ったが、「奉還町商店街ならこの道を」と、近くの人が教えてくれた。果たしてアーケードの入り口に、でかでかと「奉還町」の文字が見える(14:40)。長い商店街で、賑わいはというと、平日なので静かである。途中に吉備津から一日市までの旧山陽道地図が示されていた。奉還町の商店街の説明もある。「明治4年(1871)の廃藩置県の後、一部の氏族が家禄奉還金を元手に、萬町を西に出た旧山陽道沿いに商店街を形成した」とあり、奉還町の名前の由来がわかる。
Hokan was the fund money given by the government for starting business or farming to the warrior class who had refunded their Karoku voluntarily, and the government tried to make the warrior class be engaged in a job and boost economical efficiency.
IMG_2807

smilelineさんの絵文字  三門(みかど)へ  Mikado Town
奉還町の先に最上稲荷があり、奉還町西口の交差点を渡ると、津倉町である。幅の広い用水が流れ、水草の緑が流れを覆っている。三門東町に入ると、右手に大乗山妙林寺参道と彫る四角い石碑がたち、右手に細い道が坂をのぼって続いている。手前左には長大な名号石がたっている(15:00)。用水はこの町にも流れており、鉄板やコンクリート橋で覆ってある。今日の最終は、備前三門駅で、三門の名前が見えると、もう少しだと、元気が湧いてきた。
IMG_2816

smilelineさんの絵文字  国神社  Kuni Shrine
備前三門駅に入る前に、もう一つ見るべき場所があった。国神社である。神社の前に立つと、用水を覆う立派な石橋、石の狛犬、石灯籠、石の鳥居と、なかなか荘重な趣がある(15:04)。道路に女性が二人いて、「大阪からですか。それじゃこの神社を是非見てらっしゃい」と、煽る。煽る理由は、鳥居の向こうの天にも続くような石段である。少々歩き疲れ気味の我々であったが、意を決して石段に挑戦した。北さんも上さんも、後に続く。160余段の石段を数えて、本殿に到着した。汗がどっと噴き出す。心臓を整えるために本殿の周りをゆっくり廻ってみたが、石段下に引換え、上はかなり簡素な感じがする。本殿前に腰を下ろして茶を飲むが、ちょっとの間に何か所か蚊に噛まれた。国神社は名前とは異なり、村社である。大国主命、事代主命が祭神である。帰路、階段の上に立つと、眼下に広々とした町並みが海に続いて見えた。
IMG_2822

smilelineさんの絵文字  里程元標  Mile Stone
国神社を出て再び歩き出す。電柱の陰に里程石標が立っている(15:22)。「距岡山元標一里」「距三石管轄境十一里」「距高屋管轄境十二里廿六町廿八間」と彫る。三石が兵庫・岡山の県境であるに対し、高屋は岡山・広島の県境になるようだ。岡山県の街道の、およそ半分の距離を歩き終わったということか。
IMG_2846

smilelineさんの絵文字  備前三門駅 JR Bizen Mikado Station 
三角公園の所で旧山陽道の今日の旅は終わり。JR備前三門の駅に向かう。備前三門駅は岡山駅の次の駅であるが、駅舎?は首をかしげたくなるほど小さい。ちなみにこれは吉備線。それでも駅のホームには近くの関西学園の高校生の姿があり、上さんは積極的に女生徒に、何やかんやと話しかけている。ちゃんと明るくそれに応じている彼女たちのいじらしさ。関西学園の生徒さんは、いい子ばかりだ(15:32)。
IMG_2852

smilelineさんの絵文字  後記
トマトとドリンクを接待くださった山石さんには、早速写真を焼き、礼状を添えて郵便で送付した。底ゴムが取れた靴とは、長年連れ添ってくれた感謝の気持ちを添えて、お別れした。さて、旧山陽道も、大阪からはかなりの距離になってきた。上さんと北さんが、効率的に歩く行程を考えてくれるそうで、楽しみである。

旧山陽道を歩く (12) Walking along old Saigoku Highway

7月27日(日)、5時12分の始発電車に乗って出発、新今宮、大阪、姫路を辿りながら、今日の旧山陽道歩きのスタート地点、JR赤穂線伊部駅に着いた。伊部には9時41分に到着した。随分と時間がかかるものだ。北さんが立ててくれた計画では、今日の目的地は、JR山陽本線上道駅である。距離にして16.1kmの歩き旅だが、この数日厳しい猛暑が続いている。しかし、幸い、曇天のお蔭で、熱中症を避けられた。


tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字   伊部の町並み Imbe Street
青春18切符のお蔭で乗車料金のことをあまり心配せずに来れたが、伊部までは何回も乗り換えて、5時間近くかかった。備前焼の店は、伊部駅の西側にもたくさん並んでいる。古民家風の店もあった。不老川の橋げた、その先にも地蔵石仏の横に備前焼の地蔵さんが並んで立っている。
IMG_2045

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  大ヶ池・臥龍松  Oga Pond  and a 1ri milestone
街道はやがて山陽新幹線の高架をくぐり、これに並行して進む。東西に長い大ヶ池の上を新幹線が走る。山並みを背景に池上を通過する新幹線を写真に収めようとするが、なかなかタイミングが合わない。待っていると来ないのだ。菱が全面を覆い、蓮の花がところどころ咲いている。山並みをバックに配して何とか撮ったのがこの一枚だ。池のすぐ先の道路右手に、道標が立っている。文字が崩してあり、読み方が難しい。考えをめぐらしながら、昨日作った地図の書き込みを見ると、ちゃんと「臥龍之松」とメモがしてある。「一里塚の跡」ともメモがしてあった。予習が本番で役に立たない。
IMG_2051

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  福生寺道標  Sighpost for Fukuseiji Temple
大滝山福生寺を案内する石の道標があぜ道に立っていた。右手の熊山の渓谷にある寺で、鑑真和尚開基の寺だという。先の集落では、赤穂線・新幹線・自動車道が2本、計4本が並行して走る。我々はその一番北側の道を歩く。途中、右手の小山に石標がいくつも立つので見ると、戦役紀念碑であった。これまでも忠魂碑・日露戦役紀念碑等々、建てられている。もうこれ以上戦役紀念碑なるものが建立されることのないように祈る。
IMG_2065

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  大内神社(おおちじんじゃ)  Ochi Shrine
香登(かがと)に来た。難しい読み方だ。香登は、奈良時代に香登荘の記録があり、街道の間の宿として栄えてきたとか。醤油づくりが盛んで、今も店舗が続いている。その香登に大内神社があった。神社の石の鳥居は新しい。左手には石積みがあり、その上に「史跡一里塚」と刻む石標が立っている。ここにはかつて香登一里塚があり、このように塚が残っているのは珍しい。ただし、残っているのは道を挟んで北側の塚だけで、南の塚は、石垣は壊されて、「東町用心井」に使われたという。神社の建物は古びて真っ黒に見える。稲荷やそのほかの小さな社殿が本殿の周りに立ち並んでいる。IMG_2084

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  古代文字? Lost Chronicles of the Age of the Gods
さて、大内神社の本殿にとても興味を惹かれるものを見つけた。唐破風の下に架かる彫刻だ。真ん中の大きな円の中に、アルファベット状の文字が16個彫ってある。神社にアルファベットなど、これまで見たことがない。円の左は、小槌・掛け軸・菅笠、右には米俵・神寶記とする帳面と筆・布袋が刻まれている。僕は、これを見たあと、しばらくあの文字は何だろうと考えていた。考えながら歩いていると、キリスト教会の前を通ったので、隠れキリシタンと関係があるのではないかと思った。しかし、帰宅して、インターネットで調べると、これらは古代文字の阿比留文字だいう。ハングルに似た文字で、左の掛け軸様の彫刻の文字は、その草書体だという。「オホウチノヤシロ」と読むことが出来るとも。(丸谷憲二大内神社 古代文字「阿比留文字」の考察)
IMG_2086
IMG_2086-3

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  醤油屋のソフトクリーム   Soft Icecream with soy sauce taste
神社の妙なアルファベットのことを考えていると、前方に立派な大和づくりの家が見えた。幟が出ていて、「ポン酢ソフトクリーム」と書いてある。北さんの案内では、「醤油アイスクリーム」だったけど。ちょいと中へ入ると、袢纏を着た若者がいて、鳥の空揚げや、漬物などを試食させてくれた。「上海の鳥じゃないだろうな」などと、軽口を言いながら食べたが、空腹には美味かった。上さんはポン酢ソフト、北さんと僕は醤油ソフトを食べた。各々300円。気温が高いので、口にする前にどんどん溶け始め、手を汚さないように食べるのは難しかった。店の名前は「鷹取醤油」、伏見屋市兵衛を略した「伏市」が商標である。
IMG_2092

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  香登教会  Kagato Christian Church
醤油屋の筋斜め向かいに、地蔵堂があった。そしてその先に教会が立っている。香登教会である。大正12年(1923)建築のものだという。木造の教会で、なかなか立派なものだ。古い和式の建物が続いていたので、教会はかなり異質に見えた。
IMG_2098

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字   石長姫神社  Iwanagahime Shrine
やがてまた別の神社に来る。基壇の上に自然石を組んだ大きな常夜灯が立っている。「嘉永2年(1849)己酉」の年号がある。奥に鳥居があり、「石長姫神社」と刻む額が懸っている。鳥居をくぐって境内に入る。随身門の中には神像がなく、どちらも「ガドマル様」と記した箱が置かれていた。「ガドマル様」をインターネットで調べたが、反応はなかった。なお、石長姫は、大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉にあたる。ブスな(醜い)女神だったそうな。
IMG_2112

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  火炎を背負った小さなお不動様   Little Acalathe God of Fire 
その先の道路左手に、コンクリートブロックで組まれた頑丈な祠があったが、中を覗くと、随分と小さな不動明王が2人の従者を前に、火炎を背負って坐っておられた。
IMG_2113

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  香登集落  Kagato Town
香登の集落のはずれ、川のほとりのに常夜燈が立つ。「天保10年(1840) 三月 香登西村中 奉燈 金毘羅大権現 / 瑜伽大権現」と刻む常夜灯が立つ。左の小さな石標には、「森の木橋」と刻んである。橋を渡ると、坂根の集落で、最上稲荷の赤い社殿と鳥居が石段の上下に立つ。森の切れたところに水量たっぷりの用水が流れており、「従是熊山道」と熊山への登山口を案内している。熊山の山頂は標高508m。石積みの国指定の遺跡があり、「熊山ピラミッド」と呼ぶ人もあるとか。
IMG_2116

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字   備前長船刀剣の里  Hometown of Japanese Osahune Swords
用水を渡ると新幹線の下を通る。国道2号の下の小さいトンネルを通過する。国道の反対側には大きな看板が立てられており、刀鍛冶の絵の下に「ようこそ長船へ 備前おさふね刀剣の里」と書かれている。我々は昼食の場所を求めて、ちょっとだけ街道をそれて、その横にある神社へ行くことにした。
IMG_2128

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  靭負(ゆきえ)神社  Yukie Shrine
神社の境内を横入りする形で、神社へ入っていく。入口に「備前長船刀釼発祥之地」と彫る大きな石柱と、横に「郷土記念物 天王社刀剣の森」の案内も。案内に曰く、「この森の松は足利尊氏ゆかりの松で、その昔(1331年)に新田義貞に破れ、九州に落ちる途中、この地で再起を祈願した尊氏が後に願いが叶ったお礼に、九州日向から持ち帰り寄進した松の子孫とされ」、日向松と呼ばれているという。我々は境内で、蚊に食われながら昼食を食べた。僕は、おにぎりを3個、喉に押し込ぶように食べた。さてこの神社の名前であるが、北さんの案内では「鞆負神社」と書いてある。僕も北さんも「ともおい」じゃないか、と考えていた。おにぎりを食べて元気が出たので、随身門をくぐり、奥へ行くと、拝殿横に張り紙がしてあり、「神社名は『靭負(ゆきえ)神社といいます。通称名は『天王社』」と書いてある。「鞆」と「靭」はよく似ている。どちらにしても「ゆきえ」とは、読めない。この辺りは、かつて「福岡」と呼ばれ、黒田官兵衛の祖父が城を築いた所だが、街道脇にはそれを示すものが見当たらなかった。
IMG_2152

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  備前大橋  Bizen Great Bridge above Yoshii River
昼食が済み、国道2号に戻る。吉井川の堤防にあたる国道2号は、車の交通が激しく、暑さも厳しいので、長い苦難の道であった。閉じられた大型店舗など殺風景で、歩道の自分の背丈ほど伸びた草の間を黙々と歩いた。、道の反対側に、明治天皇行幸記念の石造物があったが、道を横切ることは危険で、見るのを諦めた。かなりの時間歩いたあと、2号は右折し、備前大橋を渡る。長船の刀の鍔を模したものが欄干の端につけられている。川を渡ってくる強い風で、帽子や傘を飛ばされないようにしながら、向こう岸に渡った。
IMG_2163

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  一日市集落  Hitoichi Town
橋を渡ると、岡山市東区と表示がある。国道をしばらく歩いて、右手の一日市(ひといち)の集落に入るよう、右手に国道と別れる。来た道にいろいろと見るべきものがあったようだが、暑さの中、引き返すことなど考えられない。前進あるのみ。一日市の入り口には、常夜燈が残っていた。
IMG_2173

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  御休小学校・福岡神社  Miyasu Grade School and Fukuoka Shrine
一日市には古い大きな日本家屋がところどころに残っている。かつては川止めを食らった大名などで、本陣や旅籠が賑わったという。用水の流れる田圃道に、「旧山陽道」と書かれた木柱が立っているが、昔の賑わいなど全く感じられない。岡山市立御休(みやす)小学校があり、校庭で野球をやっている。門があいていたので、上さんは日陰で休みたいと言って、どんどん中に入っていった。藤棚があり、日陰で風が通る。トイレも使えて、文字通り休息ができた。正門前に「二宮金次郎像」があり、学校の創立120周年記念に贈られたとしてあった。平成5年のことで、今でも「金次郎」が立てられるのが面白かった。学校の隣に「福岡神社」がある。街道筋で、官兵衛の祖父に由来する「福岡」の名を具体的に見たのは初めてだ。長船・福岡は山陽道と吉井川が交差するところで、備前国守護職の所在地であり、山陽道随一の商都であった。「福岡千軒」の賑わいと称されたが、その後、吉井川の氾濫により町並みの大部分が川底に沈んだらしい。浦間茶臼山古墳の案内があった。0.6kmという距離に怯えて、北さんの計画を踏襲しなかった。ご免なさい、北さん。
IMG_2187

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  楢原  Narahara town
用水路に沿って街道を進む。「山の端」のコンビニに飛び込んで「ガリガリ君」を食べた。一本食べ終えると、汗が引いていた。楢原の陸橋前を左折、楢原の集落に入る。左手に天保13年(1842)の和田八幡宮の灯籠が一対見える。その先に「右神戸大坂道 左岡山広島道」と刻む道標がある。
IMG_2198

gkjmyhさんの絵文字 tukusi-miyukiさんの絵文字  上道(じょうとう)  Joto Town andJoto Station
砂川という川を渡ると茂みの中に上道(じょうとう)公園があり、休憩をとった。公民館があったので、許しを得て図書室でしばし体を休めた。椅子に腰かけると、疲れがとれるように感じた。長いは無用と促されて外に出ると、陽射しが熱い。上道中学校を過ぎると、建物はなくなり、樹木の影を探し求めながら、傘をさして歩いた。沼の集落に入る。2号線に沿ってしばらく歩いて右折し、山陽本線に近づいて行く。線路を渡ると、今度は新幹線の高架し沿って西に進む。その高架の途中にJR上道駅の案内表示が見えてきた。駅の改札に入ると、数分後には相生行きの列車に乗り込んだ。緩やかな冷房で、汗が引くまでかなりの時間を要した。
IMG_2225

tukusi-miyukiさんの絵文字 gkjmyhさんの絵文字  後記 
それにしても、上さん、北さん、皆さんのお元気なこと。遅れないようにと、ついていくのが精いっぱい。今回は、まったく足の痛みがなかったことが幸いしたが、何よりも、熱中症などにならずに無事帰阪できたのが、最高。次回は、8月の6日、上さん、北さん、よろしくお導きのほどよろしくお願いいたします。

記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

livedoor プロフィール
  • ライブドアブログ