HIRO'S WALKING DIARY

今日はどこまで行ったやら  メールは moribabahiroshi01@hotmail.co.jp へどうぞ

狭山池まつり

恒例の狭山池まつりがおこなわれた。4月28、29日の両日とも好天に恵まれ、大勢の来場者でにぎわった。

さんの絵文字 灯火輪
28日の夜、狭山池の周囲が灯火で飾られた。東堤防にはキズナの文字も見えた。
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さんの絵文字 龍神舞台
翌日29日は、狭山池の中に作られた特設会場でたくさんのパフォーマンスが繰り広げられた。
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さんの絵文字 堤防を埋め尽くす人々
池の中にはボートが涼を楽しんでいた。空中にはヘリコプターの遊覧飛行。堤は人の列、列、列。
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さんの絵文字 手作りの店
狭山池の堤防を囲んで、たくさんの手作りの出店が出て、思い思いの品を売っていた。
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さんの絵文字 クラシックカーパレード
数十台のクラシックカーが堤防をパレード。これも狭山池まつりの名物になっている。
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さんの絵文字 舞台を担当した狭山高校生
舞台は狭山高校生が司会や進行の担当をした。終了後、着任早々の校長先生が激励の言葉を贈っていた。左の黄色い建物が狭山高校。右手の赤い建物が近畿大学医学部。
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四国遍路 結願! 第88番大窪寺  Pilgrimage in Shikoku No.88 Okuboji Temple (Final)

さて、いよいよ結願の日を迎えた。天気も良い。体も絶好調。第17節3日目の始まり。


さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 民宿ながお路 Leaving  Nagaoji Inn
7時に民宿ながお路を出発。私も一緒に写真に写るの?なんていいながら、一緒に写真に納まってくれた。女将さん、ありがとう。ながお路も遍路で泊まった数多くの民宿の内、もっとも印象の良い民宿の一つですよ。
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 一畑御坊 Ichihata-gobo Temple
長尾寺から結願寺第88番札所大窪寺を目指す。志度寺から長尾寺へ歩いた道の続きを、長尾寺からもまっすぐ南に向かって、遍路道は続いている。15分ほど歩いたところに、一畑御坊と掘り出した石柱が立ち、その奥に参道が本堂に向かって伸びている。よく見ると、山頭火などの詩歌がさまざまな形をした自然石に刻まれ、参道の両側に無数に立ち並んでいる。興味にひかれるまま、写真に収めた。俳諧の寺宗林寺とも書かれている。跡で見ると、「まったく雲がない 笠をぬぎ゛」「もう一杯の柄杓どの」「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」「冬遍路バサリと数珠を落しけり」「 行乞途上 秋ふかみゆく笈もぴったり身について」などが読めた。 
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 塚原  Tsukahara Town
塚原橋を渡ると細道になった(7:32)。鴨部川と並行して遍路道は続く。細道の田圃の中に大きな石灯籠が建っている。是には説明がなかったが、嘉永元年と彫られている。
IMG_0994  鴨部川
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 釈迦堂 Shakado Hall
遍路に沿っていろいろなものが並んでおり、説明がついている。これは釈迦堂の中。お釈迦様と宝珠のお地蔵様。説明を読んで、分かったようなわからないような、そんな感じで自分を納得させながら歩いている。一心庵もあった。遍路小屋もある。
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 高地蔵・大師堂・石仏・磨崖仏など石仏群  Many Buddha statues
やがて、石仏群のあるところに来た(7:52)。高地蔵・大師堂・石仏・磨崖仏などがある。ここは、旧長尾西・長尾名・前山村の村境になるのだという。高地蔵は4mもあり、三ヶ村の庄屋が発起人となり、文久元年(1861)に建立したもの。水害にまけない地蔵というわけだ。横には磨崖仏など無数の石仏が並んでいる。その横の大師堂には、弘法大師と阿弥陀三尊の石像もあった。
IMG_1017   高地蔵
IMG_1021   大師堂

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字  馬の墓 Tomb stone for a horse
大師堂の下には小さな馬を掘り出した石造があった。馬の墓だという。馬への愛情がうかがえる。
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 四つの遍路道 Four routs to Okuboji Temple
さらにこの細道は鴨部川に沿って続くが、やがて遍路道は右の登り道に、鴨部川は左手下にと別れて行く。前山ダムに近づいたころ、おへんろ交流サロンの看板が見えた。この辺りで、大窪寺への遍路道はいくつにも別れている。バス道を通る道、来栖渓谷を経て女体山を行く道、多和神社から太郎兵衛館を通り女体山を行く道、そして我々がこれから辿る花折峠、額峠を経る旧遍路道のコースである。旧遍路道コースは時間はかかるが、安全な道だということで、我々は安全を第一と心がけ、この道を選ぶことにした。
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字  前山おへんろ交流サロン Maeyama Ohenro Koryu Saron
旧遍路道を辿る前に、前山おへんろ交流サロンへ立ち寄る(8:30)。へんろ資料展示室では、江戸時代の紀行本や古地図や曼荼羅図、また、接待を受けたおへんろが残した江戸中期からの納札や納経帳、往来手形など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料となる品々が展示されている。名前を聞くのを忘れたが、施設の方がいろいろ詳しく資料について説明してくれた。説明の間、矢継ぎ早の質問にタジタジすることもあったが、面白かった。また、遍路を結願するので、遍路DVDに加えてその証明書?まで作ってくれた。
IMG_1052  遍路センタ

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 大使任命書 Shikoku Ambassador Appointment Notice
大使任命書とは恐れ多い。あちこちで経験談を話すことにしよう。
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 五剣山が見えた Mt. Gokenzan
9時過ぎ、おへんろ交流サロンを出た。サロンでもらった遍路地図を片手に山道を登って行く。振り返ると前山ダムやおへんろサロンが眼下に見える。そのはるか向こうには、五剣山もはっきりとみることができる(9:26)。ゆっくりと登っていくと、相草東峠に至る。七十丁の地蔵さんがある(10:00)。大窪寺まで70丁ということだ。7.6km。
IMG_1062    いい眺めだ
IMG_1070   七十丁の地蔵さん

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 相草 Aikusa Town
相草の集落を過ぎる。この道は六十五丁の立つ自動車道につながる。自動車道を行く。
IMG_1079   山里へ入ってきた

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字  自動車道路と遍路道  Old Pilgrim Road along the New one
さぬき市立多和小学校を過ぎ、東に方向を変えて広い自動車道をひたすら歩く。地蔵道標はこの道路のために山道に残されてしまっている。竹屋敷口という所に遍路小屋があり、やっと三十丁を示す地蔵道標に会えた(10:57)。二十一丁石のところで、大窪寺への山道に入った。緩やかな登り道をひたすら辿る(11:30)。
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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 第88番札所大窪寺 No.88 Okuboji Temple
山道が上がりきったところに大窪寺の山門が見えてきた(11:40)。思わず歓声を上げた。上さんも北さんも僕も大喜びである。万歳をした。
IMG_1123   いよいよ88番札所だ
IMG_1129   万歳!結願!

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 大窪寺本堂 Okuboji Main Hall
大窪寺は、女体山(763m)の山裾に聳える胎蔵ヶ岳の直下に建つ。本堂の後ろには多宝塔。本堂右手には阿弥陀堂が建ち、阿弥陀堂の手前に小さな石碑があって、「ここが打留の水があふれている」と、句碑になっている。
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IMG_1150   山頭火

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 宝杖
大師堂の方に回る。宝杖堂があり、巨大な宝杖のもとには、無数の杖が奉納されている。また宝杖のてっぺんには仏がほられており、印を結んでいる。他にも修行大師像が立ち、その前に奉納されたこれまた無数の大師像が整然と並んでいる。それぞれが信仰の深さを示していて、興味深い。再び本堂の前に戻り、二天門に向かう。小さな石像が階段の上に置かれていたり、門の巨大な草鞋にかけられた小さな赤い草鞋が面白い。
IMG_1165   宝杖塔の頂上部
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IMG_1184   二天門のわらじの奉納

さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字
いよいよ結願をなして大窪寺を出た。二天門を背景に記念の写真を居合わせた人に頼んで撮ってもらった。右手や前方に何軒かの土産物屋や食堂が立ち並んでおり、結願をしてほっとした気持ちをくすぐる。生姜の入った葛湯を接待された我々は、右手の食堂で昼食をとることにした。今まで口にしたことのない、高いうどんを注文した。

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さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字さんの絵文字 仏様の加護がありますように。
IMG_1194   写真禁止

四国遍路 第86番志度寺~第87番長尾寺  Pilgrimage in Shikoku No.86 Shidoji ~ No.87 Nagaoji

北さんの企画してくださった旅程で、四国遍路結願へさらに一歩を進めた。今日は二日目。心づくしの行火(あんか)が暖かで、ゆっくりと眠ることができた。6時半に起床。朝食をとり、女将さんに送り出してもらう。今日は志度寺から長尾寺まで歩く。ほとんど下り道ばかり。距離も15kmほどでらくちんだ。その分、ゆっくりと沿道の興味惹かれるものに触れることができる。四国遍路は確かに88の寺を廻ることだが、僕にはその途中の景色や、遺跡、人々にも関心がある。急ぐあまりそれらを体験できないのはつまらない。てなことで、7時50分に民宿「岡田屋」を出た。

さんの絵文字 行火(あんか)  Foot Warmer
足炬燵とも。頭寒足熱とはよく言ったもの。ぐっすり眠った。まあ、大体が僕はどこでも良く寝るけどね。
IMG_0646  岡田

さんの絵文字 八栗寺を出る Leaving Yakuriji Temple
民宿を出て、また八栗寺の山門に入る。早朝だが十人ほどの遍路さんがお詣りをしている。境内を通って大師堂、多宝塔へと抜け、次の志度寺へと向かう(8:00)。ケーブルの山上駅が近くにあるが、このあたりの岩肌は険しい。宝永3年(1706)の大地震で五剣山の峰が崩壊したというが、それはこの辺ではなかろうか。岩に圧倒されながら舗装された道を下って行く。逆打ちをしているのか、坂道を登ってくる遍路にも逢った(8:23)。柴犬を連れた近所のおじさんとも話をした。
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IMG_0684  志度寺へ向かう

さんの絵文字 用心堀と石灯籠 Yojinbori and Stone Lantern
高松北高校を右手に見ながら山道を下る。役戸神社あたりで平坦な道になった(8:38)。牟礼の市営墓地や塩竈神社を抜け(8:57)、やがて国道11号に出た。道の駅「源平の里むれ」で小休止。道の駅のすぐ向こうで、国道を離れ(9:22)、遍路道は細い道になった。琴電「原駅」の近くで琴平電鉄志度線を越えると(9:33)、源内通りと染め抜いた旗があちこちに飾られている(9:40)。目の前に大きな石灯籠が見えてきた。かつて年貢米を収納する米蔵があったとか。用心堀と名がついている。平賀源内の家はこのお蔵番をする下級武士だったという。
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さんの絵文字 平賀源内屋敷と平賀源内銅像  Hiraga Gennai's House and Statue of Gennai
石灯籠をあとに細道を進む。右手に平賀源内先生遺品館と源内屋敷が並んで建っている。我々は入場料(500円)を払って中に入ることにした(9:50)。平賀源内旧邸は平賀源内の生家で、源内は江戸へ出て行く前に妹の里与に婿養子を迎え、平賀家を託す。その孫、松三郎の代となって家は建て替えられたという。ここには源内工房や薬草園などがあり、若い女性がガイドをしてくれた。平賀源内の銅像は下にエレキテルを置き、役者のようないい顔をしている。日本のレオナルド・ダ・ビンチともいえるお方。天才ですな。
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IMG_0738  宝暦

さんの絵文字 源内通りを進む Another Stone Lantern
平賀源内旧邸には30分ほど滞在した。お蔭で、平賀源内に関してはかなりの物知りになった。さらに遍路を続ける。源内通りには石鎚山奉献灯篭と名付けたユニークな灯篭もあった。地元の醤油屋が建立したという。醤油やさんの後継者かどうか知らぬが、その先に壮快無比の大屋根と円柱が目を引く醤油屋さんの建物があった。
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さんの絵文字 町並み保存と源内記念館  Looks old but new 
源内通りは続く。志度寺の奥の院が左手にある。ちょいと山門の中を覗く。景行天皇のころ土佐の海に棲んでいた怪魚の伝説が案内されていた(10:30)。さらに進むと、お医者さんの素晴らしい建物。日本中の建物がこんなだったらいいのになあ。その向こうの白い建物の奥に、平賀源内記念館があり(10:33)、我々は源内の旧邸を見学したので、ここはただで入館できた。我々は、源内の生涯を描いたDVDや源内の資料をたくさん見学して、さらに源内ファンになった。30分滞在して遍路に戻る。IMG_0772

さんの絵文字  第86番札所志度寺と源内の墓  No.86 Shidoji Temple and Gennai's tomb
源内通りを歩き続ける。その突き当りが志度寺だった。第86番の札所だ(11:07)。山門の手前、右側に自性院があり、平賀源内の墓がある。平賀源内は安永8年(1779)12月18日、没年51歳、江戸伝馬町で牢死した。殺傷事件で入牢して1か月足らずのことで、判決も下されないまま、病死とされた。源内の墓で手を合わせた。
IMG_0777  第86番志度寺
IMG_0785   自性院常楽寺

さんの絵文字  志度寺仁王門  Shidoji Temple Gate : Niomon
仁王門をくぐる(11:11)。仁王の前には大きな草鞋。木造金剛力士像(仁王)は鎌倉時代、運慶の作という。立派な仁王門だが、境内に入ると、あれ?荒れている!と感じる。平成の大改修中ということなのか、ユンボが置いてあったり、本堂前の灯籠が取り壊されて置かれていたり、道路工事に使う赤いコーンがあちこちに見えたり…。風雪、塩害にさらされた結果建物が傷んだのだという。
IMG_0794   山門

さんの絵文字 志度寺本堂と境内  Main Hall of Shidoji Temple and its ground
歴史を紐解けば、飛鳥朝まで遡る日本屈指の古刹と言う通り、どの堂宇を見ても、歴史の重みを感じる寺だ。どうか、立派に寺院整備が終わってほしいものだ。と祈りながら本堂で般若心経を詠み、境内を見学して回る。

IMG_0807   志度寺本堂
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さんの絵文字 暮当・当願大明神 Boto Togan Daimyoujin Shrine  
11時半に志度寺を辞した。国道11号で「讃岐うどん処麺喰」という食堂があり、そこで昼食(11:46)。次から次と客が入ってくる。上さんはうどん玉を追加していたが、僕もすればよかったと、店を出てから後悔した(12:10)。ここから県道3号を、志度小学校から帰宅する5年生のM君と、会話しながら歩く。この先のオレンジタウンに家があるのだそうな。オレンジタウンは風当たりが強く、先日の強風で立木が折れたこと、学校の児童数は850人ほどだなど、いろいろと教えてくれた。彼と別れて3号線から細道に遍路道が分かれるところに、暮当・当願大明神があった。桜が満開だ。山頭火の句碑もある。しばし休憩(12:30)。
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さんの絵文字 暮当と当願の話  Story of Boto and Togan
暮当と当願は仲の良い漁師。ある日、当願は志度寺の法席にいながら、猟のことを考えた。すると下半身が蛇になってしまった。暮当は当願を背負ってここまで来たが、「体が熱いので池に入れてくれ」と当願が言うので、仕方なく池に入れた。当願は片目をくりぬいて「この目を壷の中に入れると汲めども尽きぬ美酒ができる」と言った。暮当はそのようにして美酒を売り大金持ちになった。当願は池から海に出て竜神になった。IMG_0858

さんの絵文字 造田集落  Zota Town
造田の集落を進む。田圃道ながら、あちこちに山頭火の歌碑が立っており面白い。玉泉寺(12:54)や農協の建物を使ったカフェ(13:00)などを見ながら広瀬橋の手前を右手に折れる(13:08)。川沿いを進んで長尾橋を渡る。あちこちにきれいな看板が立ち、道標や遺跡の説明がされている。旅人には親切な町だ。これらを読み進むうち、長尾寺に近づいてきた。
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IMG_0881   長尾

さんの絵文字 第87番札所長尾寺 No.87 Nagaoji Temple
長尾寺に着いた(13:36)。山門の横、そして前に今日の宿「民宿ながお路」がある。宿に入る前に長尾寺に参拝を済ませる。門前に笠と宝珠を載せたような石柱が2本、お堂に収められている。経幢(きょうどう)で、元冦の役出征将兵の霊を慰めるために建てられたものという。国の重文だとか。礼をして山門を入る。
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さんの絵文字 長尾寺本堂 Main Hall of Nagaoji Temple
境内は広い。仁王門の内側には樹齢800年ともいう大きな楠が枝を広げており、その下に手水がある。大勢の遍路が本堂前で経を詠んでいる。本堂の軒下には「七観音随一」とする額がかかっている。本尊の聖観世音菩薩が讃岐の国中一番だというのだ。
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さんの絵文字 静御前剃髪塚 Tomb stone where Shizuka-gozen's hair was buried
吉野山で義経と惜別した静御前(宥心尼)が、母磯禅師(磯禅尼)と共にこの古里に帰って長尾寺で得度した。その剃髪が埋められている。
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さんの絵文字 桜の花の本堂と大師堂 Main Hall & Taishido Hall with cherry blossoms
思えば四国八十八か所遍路を始めたのも春だった。あの日も桜が咲いていた。こうして遍路を結願する時にも桜が咲いているのは、ありがたいなと思う。


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さんの絵文字 民宿ながお路  Nagaoji Inn
2時前に民宿に入った。女将さんは愛想の良い人だった。ここは季節を問わず客が満員に近いという。今回も北さんのお蔭でこの宿を確保できた。北さん、さまさまである。風呂や夕食にはまだ時間があり、北さんは町を散策すると言って出掛けた。上さんと僕もあとから追いかけたが、北さんの姿は見えなかった。そのはず、北さんは散策などしておらず、明日利用する長尾のコミュニティバスの時間やコースを再確認するため、営業所本部まで足を運んでくれていたのだ。北さんには、いくら感謝してもし切れない。カムサハムニダコマオヨ。 スパシーバ。 ダンケシェーン。メルシ。シェシェ。コップンクラッ。そして何回もの有難う。
IMG_0929   民宿「ながお路」

四国遍路 第84番屋島寺~第85番八栗寺  Pilgrimage in Shikoku:No.84 Yashimaji Temple ~ No.85 Yakuriji Temple

いよいよ結願の時が来た。第17節目。今回は第84番札所の矢島寺から結願寺の大窪寺まで。初日の今日は、青春18切符を握りしめて、大阪・姫路・相生・岡山・高松 と乗り継いで、5時間半以上もかけて前回の最終地JR栗林駅に降り立った。上さんも北さんも、結願を迎えられるというので、顔がいつもよりほころんでいる。栗林駅前のコープのフリースペースを借りて腹ごしらえをし、早速に歩き出す。12時半である。

さんの絵文字  高松市築地町交差点  Tsukiji-cho, Takamatsu
コープのフリースペースは有り難かった。学生たちもおばさんも皆、楽しそうに昼ご飯を食べている。僕らの心も踊っていた。遍路道は高松駅から北進すると東へ直角に曲がり、国道11号を進む。15分ほどでにぎやかな築地町を過ぎ(12:48)、1時間も歩くと、左手に新川(春日川)をはさんで特徴のある屋島の山が見えてきた。橋の欄干には、那須与一が、平家の立てた扇にはっしと矢を射る場面が描かれている(13:36)。足の小指に傷テープを巻いたので、今回はうまく歩けそうだ。
IMG_0367  築地町交差点
IMG_0382  春日

さんの絵文字  屋島西町 Jizo statue showing the way
遍路道は国道を離れ、屋島中町から屋島西町へ、屋島の高みに向かって進んでいく。勾配が急になった細道では、桜の花の下で地蔵道標が道案内をしてくれている(14:00)。
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さんの絵文字 加持水・食わずの梨 Incantation water, Uneatable Pears 
坂をどんどんのぼって行く。石段の奥に石仏の一群が見えた。弘法大師が仏の加護を願い、加持に用いた井戸がある(14:07)。さらに進むとまた石仏群があり、「食わずの梨」と案内されている。弘法大師が梨を所望したが、持ち主はこれは食べられないのだと嘘を言って断った。すると本当に梨が石のように固くなったという。これまでの遍路道で、同様な話をあちこちで聞いた(14:25)。
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IMG_0413  食わずの梨を出発

さんの絵文字  急坂・畳石 Steep Way, Tatami Ishi
急坂が度を加えていく。高みに来るにしたがい、下界の様が眺められて少し疲れが癒される。スイッチバックの坂を進む。山肌には瓦板を積み並べたような節理が見える。北さんに節理の説明を受ける(14:32)。北さんは、森羅万象に詳しいので、地球の成り立ちから、草花の名前までいろいろ教えてくれる。さらに登って行くと、眺めのいいところで家族連れが休憩をしていた。畳石という場所だ。西行法師の歌碑がある。「宿りしてここに仮寝の畳石 月はこよひの主なりけり」(14:37)。西行法師はここで野宿でもしたのだろうか。
IMG_0414  なかなかの急坂
IMG_0419  畳石で休憩をする家族連れ ここからの眺めは良い

さんの絵文字  第84番札所屋島寺  No.84 Yashimaji Temple
畳石から10分ほどで屋島寺に到着。南面山と書かれた額がかかる仁王門を入る。進むと、また前方に門がある。これは四天門で仁王像のかわりに四天王の像が置かれている。それぞれ、ちゃんと礼をして本堂に向かう(14:48)。
IMG_0424  山門(仁王門)
IMG_0429  四天門

さんの絵文字 屋島寺本堂  Yashimaji Main Hall and Treasure Hall
屋島寺は、鑑真和尚が日本に来る途中、屋島山頂から瑞光が立つのを見て、ここに開創の基を開いたとされる。左の宝物館は、源平の戦の遺物を陳列する宝物館だが、唐招提寺を思わせるユニークな建物だ。
IMG_0438  正面が本堂 左手は宝物館

さんの絵文字  蓑山大明神  Minoyama-Daimyojin
本堂横に社があって、たくさんの真っ赤な鳥居が立ち並んでいる。お稲荷さんではない、狸である。鳥居の前に建つのは、太三郎狸一家。太三郎は、四国のタヌキの大将格。日本三名狸の一つで、変化妙技は日本一。屋島に「タヌキ大学」を開校し、学長を務めているという。弘法大師が屋島のふもとにさしかかった際、道に迷ってしまった。すると蓑をかぶった老人が大師の道案内を務めた。この老人こそが太三郎だったのだ奥にはたくさんの信楽焼の狸が納めてあった。
IMG_0441  蓑山大明神

さんの絵文字 屋島から壇の浦を見る  Dannoura 
屋島寺の境内をぐるぐる廻って、東大門から寺を辞した(15:11)。門前に、屋島壇の浦で戦った武士たちが血刀を洗ったをいう血の池があった。甚五郎というホテルが残っている。巨大な廃墟だ。浦を見下ろす絶景の場所に、醜悪な姿をさらしたままになっている。「左舞いになった甚五郎だね」なんて冗談を言いあった。浦をはさんで向こう側には五剣山が見えている。これから浦に下りて、今夜の宿がある、あの五剣山を目指す。
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さんの絵文字  屋島から壇の浦への急坂  Down to Dannoura
屋島壇の浦の景色を堪能して、いよいよ下山開始(13:20)。遍路道は、まっすぐに山を下る険しい坂だ。足元をしっかり確認しながら下りる。やがて集落に入った。この集落も結構高みにある。地蔵も壇の浦を見下ろしている(15:40)。
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IMG_0507  五剣山と地蔵さん

さんの絵文字  佐藤継信の墓  Tomb of Sato Tsugunobu
さらに下ると、佐藤継信の墓があった(15:46)。佐藤継信は、藤原秀衡の命により弟の忠信と共に義経に随行し、ここ屋島の戦いで、義経を狙った矢を身代わりとなって受けて、討ち死にした。義経は彼の死を嘆き悲しみ、僧侶を招いて千株松の根元に彼を葬った。僧侶には後白河院から賜った名馬「太夫黒」を与えたという。IMG_0521

さんの絵文字 菜の花畑  Rape Flower
やっと下山完了。この辺りには源平合戦に関するいろいろな遺跡が残っている。安徳天皇社・継信の首を取ろうとして弟の忠信に射倒された平家の武者菊王丸の墓・義経の弓流しなどなど(15:55)。
IMG_0528  菜の花が満開

さんの絵文字 屋島から牟礼へ  Mure Town
屋島壇の浦の橋を渡ると高松市牟礼に入る。牟礼は、五剣山から花崗岩の庵治石が掘れるので、石材業が盛んである。あちこちに石材店があり、所狭しと彫刻が並んでいる。須崎寺は土塀に掛けられた周辺地図が大きな石版であったし、境内には源平合戦の詳細が何枚もの石版で語られていた。写真さえも石版に焼き付けられている。須崎寺を出て遍路道に戻る(16:22)。
IMG_0565  石の町 牟礼

さんの絵文字  八栗寺へ  Getting close to Mt. Gokenzan
五剣山が近づいてきた。独特の形が目を引く。高松市立牟礼小学校の前を通過(16:30)、校名が大きな石に彫られてドンと校門に建っている。さすが石の町。いよいよ登り道になる。うどんで名高い山田家前を通過(16:37)。すごく大きな店だ。うどんでこんな屋敷が建つのだ。高柳を通過。石の門柱や鳥居が見えて、八栗寺が近づいたことが分かる(16:42)。
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さんの絵文字  山道 Mountain Road
右手にボディを緑と白で塗ったのケーブルカーが下りてくる。映画「男はつらいよ・寅次郎の縁談」のロケ地になった「よもぎ餅」の店もある。歩いて登る人はない。数軒の民家を過ぎると、道はぐっと細くなって山道になった。道端の石仏群に、傾きかけた太陽のぼんやりとした陽が差している。道はさらに険しさを増す(17:00)。
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さんの絵文字  小休止  A short Break
さらに登って、やっと山門が見えてきた。休憩場所があり、息を整える。「お迎え大師」の新しい大師像が、茜の空を背に座っている。大師像の背中に廻ると、来し方屋島の南嶺が美しく見えた(17:08)。
IMG_0597  五剣山 右端の山は地震で崩れたのだそうな
IMG_0596  屋島南嶺

さんの絵文字 第85番札所八栗寺(やくりじ) No.85 Yakuriji Temple
門前にある今夜の宿、民宿「岡田屋」をやり過ごして、八栗寺へ入る。仁王門を礼をしてくぐると、五剣山を背景にした本堂が大迫力で目に飛び込んできた(17:11)。なかなか!である。本堂の左手には歓喜天があり、人々の信仰を集めているという。八栗なんて面白い名は、どうして?どうしてそんな名前がついたの?と興味深い。寺伝によると、大師入唐前に、入唐求法の効き目を試そうと植えておいた八つの焼き栗が、帰国後すべて成長して繁茂していたので、八栗寺になったというのだ。もうひとつ、五剣山というが、4つの峰にしか見えない。どうして?どうして? 実は、宝永3年(1706)に大地震に遭い、5つの嶺のうち、東の1嶺が中腹より崩壊し、現在の姿になったのだそうな。こちらは信ぴょう性が高い。
IMG_0605  第85番八栗寺  八栗山の8合目にある
IMG_0608  天長

さんの絵文字 大師堂・多宝塔 Daishido Hall & Tahoto Tower
大師堂と多宝塔は、本堂右手の道を進んだところにあった。
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さんの絵文字 民宿「岡田屋」  Okadaya Inn
四国八十八か所をめぐって、たくさんの民宿・旅館に泊まった。その評価はさまざま。しかし、岡田旅館は見た目はともかく、ご主人、女将さんともに客に対する優しい配慮があり、嬉しい限りだった。どっかのように冷たいインスタントばかり並べて、顔も出さないというのとわけが違う。部屋にはちゃんと暖房を入れ、布団やシーツも清潔で、夜は冷えるかもしれませんからとアンカを布団に入れて温めてくれた。揚げたての天ぷらも食事中に出してくれる。いろいろ話もしてくれる。我々の写真を取って焼き増し、礼の言葉を添えてくれたりもした。
IMG_0640  今夜の宿「岡田屋」
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さんの絵文字 赤ら顔  Drunken Faces
温かいもてなしと、暖かい食事、それにビールで、すっかりあったまって顔が真っ赤。というところで、記念写真。これはコンピュータに記録され、永久に顧客名簿として保存されるのだとか。一番いい顔をしたつもりだが、赤ら顔ではしかたねえな。でも、皆さん四国遍路を結願するだけあって、温厚な顔ですなあ。
IMG_0644  大宴会のあと記念写真

四国遍路 一宮寺 そして 帰阪 (Shikoku Pilgrimage No.83 Ichinomiyaji)

昨日とは打って変わり、雨。気温がぐんと下がり、寒い。鬼無から栗林までおよそ14km。ずっと雨と同行。靴は雨に濡れて靴下までぐっしょり。

さんの絵文字 百百家旅館の朝食  Breakfast at Momoya
昨夜から整えてくれたのだろう。テーブルにいつでも食べられるように膳が置かれている。宿賃は昨夜、食後に支払ってあるので、女将さんは朝食時には全く顔を出さない。遍路宿にもいろいろあるもんだ。
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さんの絵文字 百百家を出発   Leaving Momoya for Ichinomiyaji Temple
朝7時半、旅館を出た。冷たい雨が結構激しく降っている。傘をさしての歩きは、もう慣れているが、昨日に打って変わって、温度が下がり、肌寒さをおぼえる。
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さんの絵文字 Stone Lantern
鬼無をあとにして案内にしたがって遍路道を辿る。八幡宮と刻んだ古風な石灯籠が立つ。旧飯田郷4か村の氏神である岩田神社のものだろう。畑の間の細い路地を進む。
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さんの絵文字
鬼無駅からの遍路道は、ずいぶんと曲がりくねってどこへ連れて行ってくれるのかと、興味深い。その上、道標、地蔵などが点在し、説明板なども整備されており、雨の下ながら結構楽しい。写真をあちこちいっぱい写した。接待橋よこの顎無し地蔵、飯田地区の遍路休憩所、岩田神社、神社横の高地蔵。古宮社、祠が二基祀ってある飯田城跡などなど。
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さんの絵文字 高松市飯田
地図をみないで、遍路道を案内するステッカーや道路標示に従って歩く。右や左に曲がりくねってどこまで続くのだろうと興味深々。水路が複雑に交差するところには四ツ又地蔵がある。名前がおもしろい。
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さんの絵文字
雨の中をくねくねくねくねと進んでいく。雨脚は変わらない。雨が靴に浸みこんできた。
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さんの絵文字 香東川を渡って成合町へ
やがて香東川の堤防に出た。川底を横切ってコンクリート道が続いている。潜水橋だ。結構この道を自動車が前後して走ってくる。自転車の学生も通る。車のはねかける水で靴は完璧にびしょ濡れ。こうなったら堂にでもなれとやけ気味だ。やっとのことで対岸に届き、直進して高松高専の前を通る。高速自動車道の下をくぐると、また、細道を歩くように案内された。
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さんの絵文字
西村ジョイというガーデンセンターを横切ると、成合天満宮に出た。寒いのと雨で生理現象が限界状態だったが、天満宮のトイレで助けられた。さらに曲がりくねって成合神社などを綴って進む。
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さんの絵文字 扇形の遍路休憩所
一宮中学校が田圃の中にそびえるように見えてきた。その向こうには一宮小学校がある。学校の横に扇形をした遍路小屋があった。折り紙細工やちぎり絵などが飾られている。雨なので休憩せずに進む。高松南高校の前を左折すると、やがて一宮寺の森が見えてきた。
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さんの絵文字 第83番札所 一宮寺  No.83 Ichinomiyaji Temple
旅館を出てから2時間、9時15分に今日の目的地、一宮寺に到着。我々は西門から入った。本堂へと早速向かう。般若心経を唱える。右手に大師堂。立派な建物だ。雨は全く止む気配がない。三密会館の前に置かれたベンチに腰掛け、靴、靴下を脱いで、足の小指にできた水ぶくれに傷テープを巻きつけた。
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さんの絵文字 おタネばあさんの話 Story of Old Otane
境内をあちこち見る。中央に薬師如来が石廊に閉じ込められたように置かれている。説明が面白い。
昔、この近くにおタネばあさんといって、それは意地の悪いおばあさんがいました。ある日、近所の人から「この寺には地獄の釜の煮えたぎる音がする祠があって悪い事をした人が、この中に頭を入れると扉が閉まってぬけなくなる」と云うのを聞きました。そこで、おタネばあさんは「そんなことはない。ちょっと試してみよう」と恐る恐る頭を入れてみたのです。すると扉が閉まり、下の方からゴォーと云う地獄の音がしてきたのです。あわてたおタネばあさんは頭をぬこうとしましたが、いくらやってもぬけません。とうとう恐くなり涙をながしながら「今までの事は許してください。」と何回も頼んだのでした。すると扉が開き、頭がすっとぬけました。それからは、おタネばあさんは心を入れかえ、近所の人からも親しまれるようになったのです。この祠は、お大師さんが戒めのためつくられたのかもしれませんね。
僕も頭を突っ込んでみようかと思ったが、やめた。おタネさんの二の舞になる可能性が超大だと恐れたから。
仁王門の下の舗装がトンボが飛んでいておもしろかった。大きな藁草履が奉納されている。こちらの門から寺を辞した。
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さんの絵文字 県道172号をひたすら北上 Toward JR Ritsurin Station
一宮寺を出るとまた小さな祠があり、地蔵が祀られている。愛着を示すきれいな服が着せられていた。細道はすぐ県道につながり、あとは自動車が行きかう県道172号をひたすら歩く。香川大学教育学部付属中学校の横を通り高松自動車道の高架を渡って行くが、民家の間のあのくねくね道路の方がずっと良いと思った。これといってみるものもなく、雨への恨みばかり思って歩いた。
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さんの絵文字  栗林  Ritsurin
前方に形の良い山が見えてきた。栗林公園のある室山だ。その右手を進む。体がすっかり冷えている。北さんの提案でガストに入ってコーヒーを飲むことにした。ドリンクバーとやらを注文して、僕は甘いシロップをたっぷり注ぎ込んだカラメル入りの飲み物を作って飲んだ。甘い甘いと思いながら、2杯も飲んだ。ガストを出ると、栗林公園の横を通って今回の遍路、最終地点の栗林駅へ向かう。
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さんの絵文字 栗林駅 Coming back to Osaka
栗林駅に到着。第16節の遍路が終了。我々はこの先の高松駅にコマを進め、駅構内のレストランで昼食兼休憩をした。昼定食はまたもやドリンクバーを含めて700円ほど。1時間ほどゆっくりとした。靴下を替えるとほっとしたが、新しい靴下も靴の湿気を吸ってすぐ濡れたようになる。あとは列車の暖気が乾かしてくれるだろう。
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