5月5日(月)、こどもの日はあいにくの雨だった。しかし、旧西国道歩きを決行。今日は北伊丹駅に降り立ち、西宮は摂津本山駅まで歩いた。北さんの計画では、その間20.9km。


intencoboxさんの絵文字  北伊丹駅~ From Kitaitami Stn.
JR福知山線北伊丹駅から猪名川に架かる軍行橋の西詰へ行く。ここから旧西国道に入る。川沿いにしばらく南進したあと、右折、松谷化学工業の工場横を通過。福知山線を横切り、北伊丹の町に進んでいく。を越えたあたりに花崗岩の道標がたち、「従是多田街道一里半」と刻む。右手に小さな堂宇があり、自然石が納められている。「辻の碑」と呼ばれるもので、「従東寺拾里」と刻まれている。我々も西国街道をここまで十里歩いてきたことになる。この先の急坂「伊丹坂」の上春日丘には「伝・和泉式部の」がある。火輪と地輪を欠いた五輪塔で、すべて残っておれば、かなり大きなものであったと思われる。和泉式部ってどんな顔をしていたのだろう。いろんな顔を頭に浮かべながら歩く。
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intencoboxさんの絵文字   大鹿 Oshika
大鹿という集落に入って来た。平安時代坂上田村麻呂がこの辺りで大鹿を射止めたことに由来するという。この辺りで有馬へ通じる道と交差しているとのこと。やがて自衛隊の車両が見えたて「千僧(せんぞ)」という地名の集落に来る。僧行基が昆陽池を築き、田を開墾したときの犠牲者を「千僧供養」をしたことによるという説もあるらしい。千人の僧を招いて、食事を供しての法要、考えただけでもすごい。天神社の前を通過。
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intencoboxさんの絵文字   昆陽池 Koyaike Pond
稲野小学校校門前には「すぐ西宮 すぐ中山小濵」などを案内する道標がたつ。その横に能因法師の歌、「芦のやのこやのわたりに日は暮れぬいづち行くらむ駒にまかせて」が彫られている。百人一首の「嵐吹く三室の山のもみじ葉は竜田の川の錦なりけり」でも有名。このあたりは昆陽池が近い。小学校の横にあるはずの首切り地蔵は見つけられなかった。残念。
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intencoboxさんの絵文字   昆陽野・猪名野 Koyano・Inano
先の公園に長勢(ちょうせい)橋の案内。元治元年(1864)の蛤御門の辺で敗走した長州勢が、ここで踏み止まって戦ったとのこと。その先に昆陽野・猪名野の案内がされている。猪名川の西岸から昆陽にかけての台地を古くは猪名野といい、かつては歌枕の地であったという。西天神社の案内を見ながら進むと閼伽井の公園へ来る。少し雨を凌ぎながら休憩。閼伽はaquaと同語源で、日本語になっているほとんど唯一の英語だと説明する。近くにある昆陽寺に向かう。
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intencoboxさんの絵文字  昆陽寺  Koyadera Temple
朱の鮮やかな山門を持つ昆陽寺は、天平5年(733)、行基の開基という。この豪壮な山門は江戸中期のもので、門を入ると雨に濡れて落ち着いたたたずまいの本堂と、その背後に「行基菩薩」と金字で書かれた額を掲げた行基堂がある。行基は、大阪狭山市にある「狭山池」の改修もして、親しみのあるお坊さんであるが、猪名野・笹原といわれたころの台地は雨が降る度に洪水の被害があり、行基が土木技術を駆使して、地域を整備し、昆陽池を作ったのである。。
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intencoboxさんの絵文字   師直塚~武庫川 Moronao Statue to Muko River
師直は交通量の激しい昆陽里の大きな交差点のそばにあった。自然石に大きく「師直冢」と刻まれている。彼は足利尊氏の側近で、終始尊氏に従い、室町幕府が開かれると将軍家の執事として権勢を誇った。街道は、伊丹市から尼崎市に入る。武庫川の手前に「髭茶屋」の案内があるが、これは立場で武庫川を渡る前に旅人が足を休めたところだろう。西昆陽という集落を抜け武庫川の東岸を南に歩く。車が雨水を跳ね飛ばしながら横を走って行くので、危険を感じた。
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intencoboxさんの絵文字   武庫川 Muko River
武庫川に架かる甲武橋を渡ると西宮市の案内表示があった。武庫川の西詰を右折し、川に沿って北進する。車が危険で、河川敷に降りる。岸の上の松並木に続いて報徳学園の建物が見える。河川敷の道に看板がある。見ると「髭の渡し」とある。先ほど通過した「髭茶屋」と関連しているらしい。読むと、この渡しのありさまが詳述されている。先ほど通過した甲武橋が完成する明治42年(1909)まで、この渡しが利用されていたという。ここから街道は報徳学園の前を通り、往古の段上村に入って行く。道路は曲折しているが、甲東文化財保存会のたてた西国街道の案内がありがたい。門戸厄神を案内する表示に従って歩くと、道路の角に石柱が2本立ち、「日本三躰厄神明王 これより西へ五丁」「すぐかぶと山観音 是よりすぐ一五丁」と刻んでいる。西に進むと「やくじんさん筋」を案内している。ついに、厄神道標が立つ分かれ道に到達。西国街道と別れ、神戸女学院の方に進むと「厄神明王社」に行き着くらしい。随分気になったが、雨の中、厄神明王を見学せずに、西国街道を進んだ。
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intencoboxさんの絵文字   御輿屋伝説 Regend of Mikoshiya
広田町で道は左折し、御手洗川橋の交差点で国道171号線に出る。京都から55km、神戸まで17kmと書かれている。少し国道を歩いて西宮中央運動公園の横からまた南下する。阪急神戸線の高架をくぐるとすぐに、官幣大社広田神社を案内する石標がたっている。与古道公園の一角になるのだろう。正念寺の角を右折すると、別の公園に「蛭児大神御輿屋傳説地」と刻む大きな石柱がたっている。案内では「ここは、西宮神社創建の伝承で、えびす様が鳴尾から現在の西宮神社のある場所に遷る途中にお休みになった場所」とのことで、御輿屋祭では、この伝承に従い、枇杷で飾られた神輿にえびす様を載せて、御輿屋伝説の地まで行列をするという。
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intencoboxさんの絵文字   西宮神社 Nishinomiya Shrine
御輿屋伝説地の碑からまっすぐ西進すると、西宮えべっさんの鳥居が見えた。5月5日の今日は「えべっさんこどもまつり」が催されているという。境内に入り参道を行くと、鯛を手にしたゆるキャラのえべっさんが歩いている。楽しい雰囲気だ。本殿では神前くじの準備がされ、「雅楽」も奉納されていた。珍しいので、参拝所に設けられた座席に座り、しばらく鑑賞をさせてもらった。
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intencoboxさんの絵文字   芦屋 Ashiya
西宮神社を出るとじきに「香櫨園」の駅前である。以前夙川の桜を見に来た時に、往路を阪急、帰路は阪神を使ったことがあり、香櫨園はちょっと懐かしかった。しばらく阪神線に沿って歩く。打出には金津山古墳、天神社があり、この辺りから阪神線と離れ、JR東海道線の芦屋駅に近づきながら歩く。2号線に入ると道は広くなり、建物も高層になり、にぎやかである。業平橋を渡る。籾取の辺りで雨のなか、ビニールシートを被っただんじりが大道を横切って行った。子どもの日に祭りが行われるのだ。本山中町4丁目の交差点を渡り、西国街道を離れ、摂津本山駅に向かう。途中、また別のだんじりを見かけた。これもビニールシートがかけられており、かわいそうだった。
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intencoboxさんの絵文字   摂津本山駅 JR Settsu-motoyama Station
今日はあいにくの雨の中、21km余りを歩いた。足が痛くなったが、なんとか持ちこたえた。摂津本山から大阪に引き返した。
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