6月7日(土)、旧西国街道のうち、JR兵庫~JR舞子間を歩いた。九州、四国、関東などで梅雨入り宣言があり、大雨で、瞬く間に平年の梅雨に降るべき雨量を越えてしまったような、記録的な大雨に見舞われているのに、大阪・兵庫は雨が降っていない。今日も今にも降りそうな曇天ではあったが、雨粒をほんの少し見ただけで、結局降られずに行脚を終えることができた。今回は上さんが、計画をしてくれたが、長田神社や須磨寺など、街道沿いの寺社、さらには五色塚古墳、孫文記念館など、多彩に見聞を広めることができた。


0929さんの絵文字 兵庫駅miadropsさんの絵文字  Hyogo Station
兵庫駅から南、和田岬あたりは、鎌倉・室町の時代には兵庫の津や大輪田泊(オオワダノトマリ)と呼ばれた港であり、平清盛が福原京を築いた所である。旧西国街道の南に点在する史蹟にも訪問したいところだが、今回は我慢して、兵庫駅前から旧西国街道に入り、そのまま西へと進む。IMG_0831

miadropsさんの絵文字長田0929さんの絵文字  Nagata
山陽電鉄高速長田駅のある長田交差点に来ると、右手に赤い鳥居が見える。その手前には石柱がたち、「式内長田神社」と記されている。長田神社商店街を通って1kmほど行くと巨大な楠の奥に長田神社の社殿が見えた。朱の装飾が美しい社殿は、阪神淡路大地震でも破壊を免れたという。祭神は「事代主神(コトシロヌシノカミ)で、日本書紀には神宮皇后がこの長田の里に祀ったという記事があるという。
IMG_0837

0929さんの絵文字 西代~板宿miadropsさんの絵文字 Nishidai~Itayado
長田神社を見てからは、特に何といってみるものはないが、神戸市の大型施設が並ぶ。県立文化体育館もそうだ。写真を見て気が付いたが、体育館の北方に、水色の巨大な建物が建っている。これは何だろう?太田の歩道橋の先には市営住宅が長々と立ち並んでいる。棟の下で花卉の世話をしている人に話しかけると、この市営住宅は耐震工事がされていたので、壊れなかったが、前後のいくつかのビルは崩壊し、大勢が亡くなったと話してくれた。
IMG_0853

miadropsさんの絵文字月見山かいわい0929さんの絵文字  Tsukimi-yama
須磨警察署から月見山へと歩く。月見山に入ると、これまでの緑の少ない道路から、歩道と車道を分ける植込みと樹木の立ち並ぶ公園感覚にあふれた道路に変わった。道路に置かれた記念碑から、震災後の神戸市が示した都市計画道路に対して、天神町の住民が話し合いを繰り返して、このような道路にしたという。月見山は在原業平が須磨でのわび住まいの慰みに、秋の月を楽しんだという山にちなむ名前だが、いかにも風情がある。歩道に、黒い石柱がたっていたが、これは松浦武四郎がこの辺りの史跡や神社を案内してたてたものという。そしてそのすぐ先に「元宮長田神社」の小型の神社が建っているが、ここが本来の長田神社があったところで、後に移転して現在の長田神社ができたらしい。朱の鳥居が美しい。
IMG_0870

0929さんの絵文字 重衡miadropsさんの絵文字  Taira Shigehira
山陽電鉄の須磨寺駅から須磨寺を見学するため、北方に街道を離れた。踏切を越えたところに石碑と小さな地蔵を収めた祠がある。「平重衡とらわれの松跡」の案内がある。生田の森で戦った平家の副大将はここまで逃げてきたものの源氏の捕虜となり、気の毒に思った土地のものが名物の濁酒をすすめた。重衡は喜んで歌を一首詠んだという。彼は鎌倉に送られ、処刑された。
IMG_0877

miadropsさんの絵文字須磨寺0929さんの絵文字  Suma-dera Temple
「須磨知恵の道」と染め抜いた旗がたちならぶ商店街を抜けると、「須磨霊泉」の流れる井戸が辻にあり、少し喉を潤した。その奥が須磨寺である。朱の龍華橋を渡り、山門をくぐる。寺は遊び心が豊かで、かわいいしぐさの大勢のお地蔵さんや、数多くのモニュメントがたちならび、退屈しない。庭には敦盛と、彼に声をかける熊谷次郎直実の姿を再現してある。本堂前にはまた、「青葉の笛」の音符やボタンを押しながら曲を再現できる近代装置も置かれている。境内には「青葉の笛」や「弁慶の鐘」など貴重な資料を収めた宝物館や、小石を利用して作った人形で源平の武士や公達を紹介したジオラマもあり、遊園地感覚で楽しめた。また、句碑や歌碑など文学碑が境内のあちこちに置かれており、読み解いていくのも楽しいだろうと思われた。
IMG_0901

0929さんの絵文字 琵琶塚・戦の濱miadropsさんの絵文字  Tomb of Biwa, Battle Beach
社務所のお姉さんにお手を煩わせて記念写真を取り、須磨寺を後にし、元の街道に戻った。山陽鉄道の高架に村上帝社があるが、謡曲「玄象」にまつわる社で、師長の琵琶「獅子丸」を埋めた「琵琶塚」は鉄道の反対側にあった。やがて街道は須磨の浦の海が見える場所に出る。「一の谷」の文字があちこちに読める。須磨の浦公園の中に入ると「源平史蹟 戦の濱」の大きな角柱がたっている。
IMG_0941

miadropsさんの絵文字敦盛塚0929さんの絵文字   Tomb of Atsumori Taira
須磨浦公園を進んでいくと、山陽電鉄須磨浦公園駅に出る。ここから海岸沿いの道を辿ると、「敦盛塚」の大きな五輪塔に到着。中世の五輪塔としては石清水八幡宮の五輪塔に次ぐ、全国第2番目に大きいものだそうな。室町時代末期から桃山時代にかけてのものだというが、とにかく大きいものだ。雨がぱらついてきたので、隣の駐車場に身を隠しながら、昼食にした。相方が用意してくれた寿司が美味かった。さて「須磨」だが、摂津の国の隅にあたることから、「隅」が転じて「須磨」となったと、どこかに書いてあった。由来の真偽は別として、ここは摂津国と播磨国の国境にあたる。
IMG_0964

0929さんの絵文字 塩屋~垂水miadropsさんの絵文字  Shioya~Tarumi
同じ兵庫県ではあるが、播磨の国に入ると塩屋町である。山陽塩屋の駅前を通過すると、真新しい石柱が立っている。「いかなごの釘煮」の発祥地がこの塩屋町の魚友だと記されている。上さんの奥さんが時間をかけて料理してくれた「いかなご釘煮」の美味しい味が思い出された。国道2号線を歩いているが、右手は階段状に何本かの鉄道路線が急な斜面を走っている。左は海だ。滝の茶屋という駅が右手に見える辺りで、車の騒音を避けて、左手の平磯緑地に入る。緑地を抜けると福田川の橋を渡る。垂水の駅のすぐそばに「(ワタツミ)神社があり、ちょっと立ち寄る。官幣中社としてある。名前の通り、海の神さんを祀っている。
IMG_0970

miadropsさんの絵文字五色塚古墳0929さんの絵文字     Goshiki-zuka Tomb
海神社を見てから、次の交差点に五色塚古墳の案内があったので、線路を横切り、五色梁町を通って古墳に迫った。数百m歩くと、五色塚古墳が目に入った。大きな盛り土に数多くの埴輪が並んでいる。その向こうに明石大橋の橋げたが見える。新旧の対照がなかなか面白い。右手にも古墳があり「千壺古墳」とされている。受付事務所で記名をし、古墳の中に入る。ちなみに五色塚古墳は前方後円墳で、小壺古墳は円墳である。五色塚古墳は兵庫県下で最大の古墳で、4世紀半ばのものだと説明がある。前方部から明石海峡を隔てて、淡路島が綺麗に見えている。
IMG_1009

0929さんの絵文字 孫文記念館miadropsさんの絵文字  Sun Tat-sen Memorial hall (Ijokakju)
ゆっくりと古墳を見学し、再び旧街道に戻る。国道2号から兵庫県立舞子公園に入った。目的は「孫文記念館」見学である。中国の革命家、孫文に関する日本唯一の博物館ということである。後期高齢者ばかりの我々は300円の入場料を200円にまけてもらった。孫文の生い立ち、業績などをパネルやゆかりの品々を見ながら移情閣の各部屋を廻って行く。映像案内のコーナーでは、冷房と疲れでビデオを見ながらつい眠ってしまった。さてここが今日の終点。近くのJR舞子駅から帰阪した。お疲れ様。
IMG_1037
IMG_1072