25、26日の両日、大学の同窓会が開催されたが、今回は長野県のSK君が幹事をやってくれた。参加者は10人。旧知に再会できたことは勿論、SK君の綿密な計画で北信濃の紅葉と温泉、名所旧跡の秋を堪能できたことはこの上なく嬉しくも楽しいことだった。
Had a class reunion in Nagano.
長野駅集合
新幹線で新大阪から名古屋へ、名古屋からは「しなの18号」と乗り継いで、長野駅に待ち合わせ時間ぴったりの1時に到着。家からは5時間と少しの旅だった。駅には長野駅開業120年を祝う垂れ幕が 架かっている。今回集まったのは、男性6人、女性4人だった。
Got together at Nagano Station.

八幡原(ハチマンパラ)史跡公園
SK君が最初に案内してくれたところは川中島の戦いの舞台である八幡原史跡公園。八幡社境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像が建っていた。ボランティアガイドの分かりやすい説明を聞く。ここの戦は激しく、武田信繁、山本勘助らが戦死したとか。自分の背後にはまだ当時の土塁が残っていた。
At Hachimanpara Historical Park.

松代象山(マツシロゾウザン)地下壕(チカゴウ)
次に案内してもらったのは、松代象山地下壕。第2次大戦末期、軍部が本土決戦に備えて大本営や政府各省等を松代に移すため、地下壕を掘った話は聞いていた。ずっと訪れたいと思っていたので、これは嬉しかった。入口の案内によると、「地下壕は、昭和19年末に着工、翌年8月の終戦まで、約9ヶ月の間に当時の金で約2億円の巨費と、およそ述べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められた」とある。歩いていけるのはほんの数百mだが、実際は碁盤の目のように壕が掘られているのだとか。突き当たりに平和へのメッセージが置かれていた。また、壕の入口には「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」が建っていた。荒々しい壕の岩盤に戦争の悲惨さを思いながら歩いたことだった。
Matsushiro Daihonei (Zozan Underground Imperial Headquarters)

象山神社
次に佐久間象山ゆかりの象山神社に詣でた。「幕末の松代が生んだ学者・思想家。勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本佐内等の師であり、将軍家茂、慶喜に公武合体開国を説いて非業の最期を遂げた」と神社入口に案内。社殿横の高義亭では象山が志士と密談を交わしたとか。
Zozan Shrine

真田ゆかりの史跡めぐり
真田宝物館、真田邸、藩校文武学校など真田10万石ゆかりの史跡を見学した。真田幸村の兄信之は、関ケ原の役の勲功から上田城主として安堵された。その後松代へ移封されて以来、明治維新まで10代の藩主をかぞえる。今も14・15代目が居り、宝物館では12代目が大名道具を松代市(現長野市)に譲渡したものを展示している。真田邸は改修工事中で見学できなかったが、冠木門から入り、庭園の見学をすることができた。紅葉が綺麗だった。松代藩々校旧文武学校は国指定史跡とかで、正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所ほかなど多くの建物が残っており、夕方の遅い時間にもかかわらずボランティアガイドの方の明るく熱心な案内でしっかりと見学できた。KN君がお殿様の座る部屋で脇息に腕をあずけて座って見せた。写真を撮ってから「悪代官みたいだった」と言って笑わせたが、写真を見るとなかなか温厚さあふれる素敵なお殿様に写っている。
The Sanada Treasure Museum, the Former Sanada Residence, the Old School for the Literary & Military Arts (Bunbu Gakko), etc.

野沢温泉
夜は野沢温泉は民宿「まるじ」の客になった。民宿の温泉で旅の汗を流したあと宴会。宴会ではたくさんの馳走と蕪(カブ)焼酎で、旧交を温めた。寝る前に、外湯にも行った。端から端まで歩いても20分足らずだという温泉街の中に13カ所の外湯(共同浴場)があるのだそうな。我々は民宿に近い「秋葉の湯」に行った。翌朝、今日が最後という朝市にでかけた。馬肉のハムと野沢菜を土産に買った。源泉には100度近い湯が湧いているのだそうな。街中には十王堂や、木の幹で作った道祖神が見られ、歴史を感じた。
Nozawa Onsen hot springs

野沢温泉シャンツェ
さて、民宿「まるじ」のオーナーは、SK君の高校の後輩で、冬季オリンピック札幌大会およびインスウルック大会に出場した富井澄博氏。民宿の浴場入口には、氏の輝かしい業績を示すカップ・トロフィー・賞状が所狭しと並べられている。朝市から戻り、朝食を済ませると、「まるじ」からもよく見えるスキージャンプ台(シャンツェ)へ案内してもらえることになった。これは、昭和61年に作られた70m級オールシーズンのもの。我々は車で踏み切り台まで行き、そこで富井さんからジャンプ競技の話を聞いた。踏み切り台からは、着地点が見えない。奈落のような深さだ。IT君が上の方へ登っていったので僕もついて行ったが、途中で恐くなって止めた。登るのは足下の太い縄で編んだ網を持って登れるのだが、下りは無理。自分が恐怖心の塊になっている。山並みの間の野沢温泉街がきれいに見えた。
Nozawa Onsen ski jump facilities

松川渓谷
民宿を出て長野市方面に南下しているのは想像できたが、どんなルートを通っているのかさっぱり分からない。ただただSK君の運転する車の助手席に身をゆだねている。後部座席のHMさんとTJさんの楽しい会話が、我々の辿っている山道のようにどこまでもどこまでも続いている。SK君は七味温泉の方へ走っているというが、あるところで車が止まった。そこは松川渓谷。松川が流れる深い谷の向うに橋が架かり、その周囲の紅葉が実に美しい。「紅葉日本百選」の一つだそうで、SK君はこの景色を我々に見せたかったのだ。なるほどスゴイ!家で孫の世話に忙しい我が相方にも見せたやりたい!
Matsukawa Valley

岩松院と北斎館とりんご
松川渓谷で紅葉を堪能したあとは、SK君は彼の在所の小布施に案内してくれた。小布施は、葛飾北斎が80歳になって訪ねてきた土地で、たくさんの肉筆画を残しているのだそうな。その一つが、SK君の散歩道にあるという岩松院(ガンショウイン)。本殿天井に巨大な「八方睨みの鳳凰」図が描かれている。余りにも鮮やかな色彩で、150年も経過しているなんて思えない。次に訪れたのは北斎館。ここは肉筆画中心の美術館で、中央には山車が2台置かれており、その天井にも北斎が描いた画があった。映像の紹介を見てから館内の見学をする。小布施はこの北斎のお蔭か、年間百万人の観光客が訪問するそうで、町並みもなかなか落ち着いて美しい。またまた林檎が素晴らしい。
Iwamatsuin Temple, Hokusai Museum, apple trees

SK君へ。今回はいろいろな所へ案内してくれて本当にありがとう。食べ物、山川の自然、歴史、絵画、スポーツ、温泉、人情…。すべてのことにおいて長野がすばらしいことを実感した次第。来て良かったと心のそこから思っています。同窓生の皆さんへ。また2年後に愛知で会えるのを楽しみにしています。互いに健康に留意して、また会いましょう。
Had a class reunion in Nagano.

新幹線で新大阪から名古屋へ、名古屋からは「しなの18号」と乗り継いで、長野駅に待ち合わせ時間ぴったりの1時に到着。家からは5時間と少しの旅だった。駅には長野駅開業120年を祝う垂れ幕が 架かっている。今回集まったのは、男性6人、女性4人だった。
Got together at Nagano Station.


SK君が最初に案内してくれたところは川中島の戦いの舞台である八幡原史跡公園。八幡社境内には信玄・謙信両雄一騎討ちの像が建っていた。ボランティアガイドの分かりやすい説明を聞く。ここの戦は激しく、武田信繁、山本勘助らが戦死したとか。自分の背後にはまだ当時の土塁が残っていた。
At Hachimanpara Historical Park.


次に案内してもらったのは、松代象山地下壕。第2次大戦末期、軍部が本土決戦に備えて大本営や政府各省等を松代に移すため、地下壕を掘った話は聞いていた。ずっと訪れたいと思っていたので、これは嬉しかった。入口の案内によると、「地下壕は、昭和19年末に着工、翌年8月の終戦まで、約9ヶ月の間に当時の金で約2億円の巨費と、およそ述べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められた」とある。歩いていけるのはほんの数百mだが、実際は碁盤の目のように壕が掘られているのだとか。突き当たりに平和へのメッセージが置かれていた。また、壕の入口には「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」が建っていた。荒々しい壕の岩盤に戦争の悲惨さを思いながら歩いたことだった。
Matsushiro Daihonei (Zozan Underground Imperial Headquarters)


次に佐久間象山ゆかりの象山神社に詣でた。「幕末の松代が生んだ学者・思想家。勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、橋本佐内等の師であり、将軍家茂、慶喜に公武合体開国を説いて非業の最期を遂げた」と神社入口に案内。社殿横の高義亭では象山が志士と密談を交わしたとか。
Zozan Shrine


真田宝物館、真田邸、藩校文武学校など真田10万石ゆかりの史跡を見学した。真田幸村の兄信之は、関ケ原の役の勲功から上田城主として安堵された。その後松代へ移封されて以来、明治維新まで10代の藩主をかぞえる。今も14・15代目が居り、宝物館では12代目が大名道具を松代市(現長野市)に譲渡したものを展示している。真田邸は改修工事中で見学できなかったが、冠木門から入り、庭園の見学をすることができた。紅葉が綺麗だった。松代藩々校旧文武学校は国指定史跡とかで、正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所ほかなど多くの建物が残っており、夕方の遅い時間にもかかわらずボランティアガイドの方の明るく熱心な案内でしっかりと見学できた。KN君がお殿様の座る部屋で脇息に腕をあずけて座って見せた。写真を撮ってから「悪代官みたいだった」と言って笑わせたが、写真を見るとなかなか温厚さあふれる素敵なお殿様に写っている。
The Sanada Treasure Museum, the Former Sanada Residence, the Old School for the Literary & Military Arts (Bunbu Gakko), etc.


夜は野沢温泉は民宿「まるじ」の客になった。民宿の温泉で旅の汗を流したあと宴会。宴会ではたくさんの馳走と蕪(カブ)焼酎で、旧交を温めた。寝る前に、外湯にも行った。端から端まで歩いても20分足らずだという温泉街の中に13カ所の外湯(共同浴場)があるのだそうな。我々は民宿に近い「秋葉の湯」に行った。翌朝、今日が最後という朝市にでかけた。馬肉のハムと野沢菜を土産に買った。源泉には100度近い湯が湧いているのだそうな。街中には十王堂や、木の幹で作った道祖神が見られ、歴史を感じた。
Nozawa Onsen hot springs


さて、民宿「まるじ」のオーナーは、SK君の高校の後輩で、冬季オリンピック札幌大会およびインスウルック大会に出場した富井澄博氏。民宿の浴場入口には、氏の輝かしい業績を示すカップ・トロフィー・賞状が所狭しと並べられている。朝市から戻り、朝食を済ませると、「まるじ」からもよく見えるスキージャンプ台(シャンツェ)へ案内してもらえることになった。これは、昭和61年に作られた70m級オールシーズンのもの。我々は車で踏み切り台まで行き、そこで富井さんからジャンプ競技の話を聞いた。踏み切り台からは、着地点が見えない。奈落のような深さだ。IT君が上の方へ登っていったので僕もついて行ったが、途中で恐くなって止めた。登るのは足下の太い縄で編んだ網を持って登れるのだが、下りは無理。自分が恐怖心の塊になっている。山並みの間の野沢温泉街がきれいに見えた。
Nozawa Onsen ski jump facilities


民宿を出て長野市方面に南下しているのは想像できたが、どんなルートを通っているのかさっぱり分からない。ただただSK君の運転する車の助手席に身をゆだねている。後部座席のHMさんとTJさんの楽しい会話が、我々の辿っている山道のようにどこまでもどこまでも続いている。SK君は七味温泉の方へ走っているというが、あるところで車が止まった。そこは松川渓谷。松川が流れる深い谷の向うに橋が架かり、その周囲の紅葉が実に美しい。「紅葉日本百選」の一つだそうで、SK君はこの景色を我々に見せたかったのだ。なるほどスゴイ!家で孫の世話に忙しい我が相方にも見せたやりたい!
Matsukawa Valley


松川渓谷で紅葉を堪能したあとは、SK君は彼の在所の小布施に案内してくれた。小布施は、葛飾北斎が80歳になって訪ねてきた土地で、たくさんの肉筆画を残しているのだそうな。その一つが、SK君の散歩道にあるという岩松院(ガンショウイン)。本殿天井に巨大な「八方睨みの鳳凰」図が描かれている。余りにも鮮やかな色彩で、150年も経過しているなんて思えない。次に訪れたのは北斎館。ここは肉筆画中心の美術館で、中央には山車が2台置かれており、その天井にも北斎が描いた画があった。映像の紹介を見てから館内の見学をする。小布施はこの北斎のお蔭か、年間百万人の観光客が訪問するそうで、町並みもなかなか落ち着いて美しい。またまた林檎が素晴らしい。
Iwamatsuin Temple, Hokusai Museum, apple trees

SK君へ。今回はいろいろな所へ案内してくれて本当にありがとう。食べ物、山川の自然、歴史、絵画、スポーツ、温泉、人情…。すべてのことにおいて長野がすばらしいことを実感した次第。来て良かったと心のそこから思っています。同窓生の皆さんへ。また2年後に愛知で会えるのを楽しみにしています。互いに健康に留意して、また会いましょう。